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中学生で母親から逃げてきたけどなんとか今も生きてる話

こんにちは。これを読むほとんどの方が私のことを知らないと思うので、まず自己紹介します。

私は両親共に居らず、現在は祖父母と暮らしている高校生です。

中学生の時に母親と離れ、一時期的に児童相談所や居ましたが、今はアルバイトで稼いだお金で進学を目指しています。何故私が母親から離れたか、それは私が生まれる前からその理由が始まります。

母が高校2年生、現在の私と同い年の時。    母は私を産みました。父はどうやら母が子供を産むと逃げてしまったようで、まだ未成年で幼い母は祖父母の元に私を預け、夜は飲んで歩いていたそうです。なので、私は特におばぁちゃんっ子で育ちました。でも、幼稚園に上がった頃、母が知らない男の人を連れて幼稚園に迎えに来ました。それからその男の人の母とで小学校4年生まで生活しました。

男の人は性格が荒く、私に苦手な勉強を徹底的にやらせました。問題の答えが間違っていれば叩かれ、倉庫に閉じ込められ、母と男の人が遊びに行くのを見送った後、私は家の中で算数ドリルをずっとやっていました。そして彼らが帰ってきたら答え合わせをし、怒られて眠る。そんな生活を4〜5年続けていました。小学生の私は母と男の人の目を盗んで何度も祖母に電話を掛けていました。道も分からないのに祖父母の家まで歩いて行こうと考え、車に乗る時は道を覚えるため絶対寝ないように窓の外をずっと眺めていました。

そんな生活を続けていくうちに小学4年生のある時、私は「死のう」と考えましたが、その時飼っていた犬のお世話を私はしなければいけない、という思いから自殺を思い留まりました。

ですが、小学4年生の夏休み。母が2階の寝室で火事を起こしました。私は寝室の隣の部屋で眠っていたので、母がすぐに私を起こし、外へと連れていきました。2階は全て全焼。私があの時、母に起こされず眠ったままならきっと死んでいたのだろうと思いゾッとしました。

2階が全焼し、男の人の実家でしばらく過ごして居ましたが、母は人に気遣うのに疲れてしまったのか荷物を纏めて男の人の家から私を連れて出ていきました。それから2人はもう会うことはありませんでした。

私はその時はやっと終わったと思って本当に安心しました。


私はまたしばらく祖父母の家に預けられることになりました。祖父母は本当に私のことを心配してくれて、母をすごく叱っていました。煙草の臭いが染み付いた母は夜中、祖父母の家から出るとそこから帰ってくることはなかったです。

火事から約半年が経ち、私は小学5年生になりました。大人しく人見知りで他人と関わるのが苦手でしたが、それなりに学校は楽しく、家に帰ったら祖父母の温かい手料理が食べられる。私は久々に安心した日常を送れていたと思います。ですが、運動会の日。母が学校にやって来ました。私は緊張していましたが、至って平然と振る舞いました。演目も無事終わり、母は一緒に帰ろうと言いました。私は祖父母と帰りたかったのですが、母に言い返すことができない私は黙って従いました。そして、また知らない男の人の家にやって来ました。今度は大きなマンションです。オートロック付きの高層マンション。

それからまた知らない男の人と母と私との生活が始まりました。今回の男の人は祖父よりも年上の人で、とある企業の社長でした。母は男の人と居るとオシャレができます。高いご飯が食べれます。お酒が飲めて、仕事が来ます。だから母は自分の父親よりも年が上の人ち手を繋ぎ、好きだと言います。いとこが私の元に遊びに来て、「あの二人の関係はなに?」「どうして手を繋いでいるの?」と言われても私は説明に困ってしまい何も答えることができませんでした。

そうしているうちにいつの間にか私は小学6年生になり、男の人の私を見る目が変わりました。胸が大きくなってきて、私は女性に近い体になりました。それから、いつ頃だったかは覚えていませんが、男の人が私の部屋にやってきて体を触ってくるようになりました。拒絶すると男の人と母との間で亀裂が生まれてしまうことから断ることも母に相談することもできず私は不登校になってしまいました。母がいる間は男の人が私に触ってくることはありませんでしたから、その分夜は眠ることができないため私は学校に行かず昼間に寝ていました。でも、卒業も近いですから学校に必ず行かないといけない行事もあります。その日もそうでした。私は生徒がみんな帰った夕方頃に学校へと行きました。

荷物も取って用件も済ませたあと、担任の先生がとても真剣な顔で「最近、学校に来てないけど家で何かあった?」と聞きました。私は怖くて何も無い、大丈夫と首を振りました。それでも先生は続けます「昔、教え子にお母さんの再婚した相手に体をね、触られたりして困ってる子がいて。あなたももしかしたらそうなんじゃないかなって思ったの」そう言いました。先生が話を進めるうちに、私はボロボロ泣き出してしまってそれで事件が発覚しました。先生は私を誰もいない静かな部屋に待たせて校長先生に話してくると言って部屋を出ました。それから数十分後に警察や児童相談所の方が来て、色んなことを聞かれて答えて。その後警察署へ行き、私は児童相談所で保護されることになりました。

結果、男の人の犯行は事実として証拠も出ました。ですが、この歳で法廷に立ち、裁判所で証言をしないといけないということを警察の方に聞かされ、起訴することを断念しました。弁護士費用なんてものも持っておらず、私はそのまま泣き寝入りするだけでした。それだけならまだよかったのですが、児童相談所に入って1ヶ月後、母が迎えに来ました。

それから母とホテルを転々としながら暮らし、安くて小さなアパートを借りました。あの男の人と一緒に居ないということは母が私のことを考えてくれて心配してくれているようで私は嬉しかったんです。学校から帰ってきたら机の上にはお金が置かれていて、それを握って私はコンビニでご飯を食べて眠る時は一人。夜中 母が帰ってくるのを音だけ感じて、朝は眠る母を起こさないように学校に行く。私はそれだけでもよかったんです。だけど、母はダメみたいでした。アパートを借りて丁度1ヶ月の時、いつも通り家に帰ると私のベッドと荷物だけが置かれて母の荷物もベッドも全部無くなっていました。

祖母に連絡すると一緒に荷物を片付けて、アパートの解約手続きまで行ってくれましたが、祖母は怒りでいっぱいのようでした。

それから祖母と私は、男の人と母と私が住んでいたマンションに行き祖母は「警察を呼びますよ!」と言って母を呼び出しました。すると男の人の怒鳴り声が帰って来て、祖母は警察を呼びました。まるで立てこもり事件です。祖母は泣きながら警察に事情を話していました。その時、私が児童相談所に居たことを警察の人から聞いて知ったようでもっとショックが大きかったみたいです。警察の方に私と祖母は家に帰され、後は警察の方に任せることになりましたが、結果 男の人と母は他県の方に行ってしまいました。


それから母とは今に至るまで会っていません。ですが、戸籍はまだ母の元にあるため、私は進学が難しいのです。働かない母にしては有り得ない額の収入があるため、私は奨学金を受け取ることが難しいのです。

なので、連絡は今でも取り合って、所得を下げるよう頼んでいますが「あの時アンタがおばぁちゃんに言ったのが悪いんでしょ」と言われてしまいこちらの要望を聞き入れてもらえません。ですので、アルバイトでお金を稼いでなんとか進学したいのですがその分勉強の時間が削られ中々難しいのが現状です。

ですが、だからと言ってこのエッセイでお伝えしたいのは、「私 可哀想」というわけではなく、こんな人生でもなんとかなるんだよということです。私はこれらのことから中学生の時は対人恐怖症で不登校でした。それでも私は音楽と出会い、現在の高校では素敵な友人と出会うことができ、なんとか幸せな生活を送っています。なので、どんなことがあっても大抵なんとなります。辛かったら逃げればいいし、できないことをやる必要は無いと思うんです。

母親と離れて私はやっと安全な生活を送れています。小学生のあの時、話を聞いてくれた先生に本当に感謝です。


中学生の時から両親は居らず、寂しいという感情も多かったです。不登校の時は対人恐怖症と摂食障害に苦しみましたが、現在はそれなりに明るく生きてます!!

進学後は起業しようと考えており、経済学と経営学について勉強してます☺️音楽が好きなので、主に音楽経済について取り扱ってます!他の記事もぜひご覧下さい〜!

ここまでお疲れ様でした🙇‍♀️それではまた!

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