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本当に「白」こそ「美」なのか? 時代に逆行する「美白」という言葉

昨今「美白」という言葉は日常の至る所に散りばめられており、そこに違和感や疑問を持つ人は少ないのかもしれない。例えば化粧品の広告では「メラニンの生成を抑え、しみ・そばかすを防ぐこと」という意味で使われ、主に「色白」のモデルや女優が商品を宣伝している。

そんな環境のもと、私たちは無意識のうちに、肌は白くあるべきだという概念を刷り込まれてはいないだろうか。

私は遺伝により生まれつき「色白」で家族も同様の特徴を持っていたため、自分の皮膚の色素が比較的薄いと自覚したのは、小学生になり毎日周りの子供からそれを指摘されるようになってからだった。

「白っ」「キモい」「幽霊」「雪女」

そう、小学生は「みんなと違う」をからかいたがる生き物だ。

比較的皮膚の色素が濃い「色黒」の人もまた、同じようにいじめられていた。そしてその頃、私はまだ「色白」という特徴が憧れの対象となりうることを知らなかった。言い返す言葉も見つからないまま、それは中学生になるまで続いた。

風向きが変わったのは高校生になった頃だった。「美白」に興味を持つ人が増え、キモかったはずの私の肌が褒められるようになったのだ。それから私は自分の肌の色に否定的な感情を抱くことはなくなった。しかし周りを見渡すと、自分の肌に劣等感を持つ人がまだたくさんいることに気づいた。

もちろん肌の色に優劣などない。肌に限ったことではないが、違いは個性であり、そのどれもが美しいという考え方が現代の世界基準になりつつある。それでも一部の人がもっと白くなりたいと願ったり、自分の肌を好きになれなかったりするのはなぜか。それは長く続く文化や風潮、絶えず周りから浴びせられる言葉、企業の戦略等により、時間をかけて植え付けられたからではないだろうか。

色白モデル一辺倒の化粧品広告

雑誌や広告では、必ずと言っていいほどモデルの肌や体型は加工されてい
る。肌に関してはしみや肌荒れをなかったことにしたり、トーンを実際よりも明るく、つまり色白に見えるように加工されることが多い。メディアは暗に多様な肌の色を否定してはいないだろうか。当然モデルの肌も多種多様だ。でも、消費者が目にするのは加工後の写真や映像のみなのだ。

去年、とあるブランドの広告に強い違和感を抱いたのをきっかけに、これまで感じてきたことや率直な思いをまとめてツイッターで発信した。

SUGAOの広告やキャッチコピーはあくまで一つの例でしかないが、「白肌」や「シロネコ肌」という言葉は一部の人に疎外感や偏った印象を与えてしまってはいないだろうか。「色白になりたいすべての女子」をターゲットとしたキャッチコピーだとは言え、受け取るのは色白になりたい女子だけではない。もっと言えば、「女子」以外にもブランドや商品のファンはいるはずだ。

広告が社会に与える影響は大きい。意図せずとも毎日数え切れないほどの広告が目に入ってくるし、避けることは非常に難しい。肌に関する価値観が形成される前の子供たちがこの広告を見たときに、「白肌」や「シロネコ肌」こそ一般的な美の基準だと思い込む可能性はないだろうか。「女子」というカテゴリに属していない人々に、この商品を使うのはおかしなことだという先入観を与えはしないだろうか。

一連のツイートに対し「考えすぎでは?」という声も聞こえたが、賛同し意見をつぶやいたり、DMを送ってくれたりした人もいた。

「過去に肌の色をからかわれていたので共感した。」
「色の濃淡ではなく肌のコンディションを重視したい。」
「昔からのステレオタイプが頭に刷り込まれて今の子供たちの価値観に変わる前に、広告や教育を変えていきたい。」
「世間の『常識』や『美の価値観』からはみ出ないように無理をするあまり、自らを苦しめてしまう女性を見るたびに胸を痛めていた。『こうあるべきだ』と半ば脅しのような広告が溢れ、それが自己否定を助長し、さらに苦しむ人が増えるのではないかと危惧している。」


それ以前に私は、自分の肌を好きになれずに苦しんでいる/いた人が大勢いることを他人のツイートを見て思い知らされていたし、身近にも何かにつけて自分の肌を卑下し、自虐する人は何人かいた。見ているのが辛かった。

大きな影響力はないかもしれないが、私のツイートが誰かの考えるきっかけになっていたらそれだけで私は嬉しいし、発信してよかったと思う。

変化を恐れるということは進化を諦めるということ

肌の色を白くすることと、美白効果のある化粧品を使うなどしてしみやそばかすを防ぎ、明るく内側から輝くような肌にすることは、似ているようで実は全くの別物である。前者は漂白と言った方が正しい。

長い年月をかけて築かれた概念や価値観はそう簡単に変えることはできない。しかし、その一歩として「美白」に代わる言葉ができるといいなと私は思っている。まずは誤解を与えかねない「白」という一文字を取り除くことから初めてみてはどうだろうか。本来「美白」に「白い」や「白くする」という意味はないのだから。

どのような肌質やトーン(明暗や濃淡などの色の調子)を好むかは個人の自由だが、もしも色白になりたいという願望があるとするならば、それはメディアの情報や世間に蔓延る固定概念によって作り出されたものだという可能性はないだろうか。冒頭でも言及したように、日本で「美白」やそれと同等の言葉、またそれらを表す画像などの視覚情報を目にしない日は、ないと言っても過言ではない。

欧米の化粧品の商品名や商品説明に「white」というワードが使われることは滅多にない。しかし同一商品でも日本で販売される場合、clear(澄んだ)やbright(明るい)、radiant(輝く)といった言葉が、美白や白く透き通ったといった言葉に言い換えられることが多々ある。白さを強調した方が売れるからだろうか。もしそうならなぜその方が売れるのか、そこから考え直して欲しいと思う。

本記事の執筆にあたり、日本では当たり前のように使われている「色白/色黒」や「肌が白い/黒い」という表現も、ここでの使用が適切なのかどうか判断がつかず躊躇った。他にそれらを的確に表す言葉が見つからなかったので使用することにしたが、将来的にはそういった概念も変わっていけばいいと思っている。「肌色」の色鉛筆の色名が変わったように。なぜなら、肌は十人十色だからだ。

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美しさの形は無限にあるし、必ずしも美しくある必要だってないのかもしれない。しみやそばかすがない方がいいという価値観自体、もう時代錯誤な現代。他人の身体的特徴に口出しする権利は誰にもない。古い価値観にとらわれ続けるのはやめて、もっと自由に多様な世の中をのびのびと生きられる世の中になることを願わずにはいられない。その自由な世界を作るのは他の誰でもない、私たちだ。

執筆=uk
写真=Unsplash

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