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締め出される観客‐客席から見たお笑い‐

私は20代半ばのお笑いオタクだ。録画したネタ番組は2回以上観るし平日の公演は有料配信でチェック、土日には寄席も行く。どっぷり浸かったオタクだ。 

しかしそんなに好きなお笑いをここ数年で心から楽しめなくなった。居心地が悪いのだ。

芸に潜む女性蔑視 

私が育った家庭では四六時中ネタ番組やバラエティーが流れ「○○ってフレーズ、誰の漫才だっけ?」という会話が何気なく交わされていたため、何の疑問もなくお笑い好きになった。だが大学でジェンダーやフェミニズムを学問として学ぶうちに、お笑いの様々な場面で女性蔑視を感じ始めたのである。

コントでは女性役が過剰にヒステリックに演じることで笑いを誘い、漫才では性犯罪を軽視した台詞を聞くことも少なくない。あるコンビの動画配信でも“女性は重要な仕事をしない"といったニュアンスの発言が見られた。 

このことは消費者である私だけが感じているものではない。ミソジニー(女性蔑視)に関心のあるピン芸人のイ・ウンジさんも2017年のインタビューで「お笑いライブのお客さんは女性が多いのに、女性を差別するようなネタに笑っている。そこが難しいですね。社会の雰囲気がそうなっているんでしょうね。」と述べている。 

嫌なら見なければ良いという人もいるだろう。もちろん合わない芸風の人達は見ないようにしている。幾つかのお笑い芸人のYouTubeチャンネルの登録を解除し、その人達目当てでは寄席にも行かなくなった。そうやって見るものを選び続けてはいるが人間に絶対はない。

また、“多少”の差別思想が透けて見えても面白さが勝てばすぐには切り捨てられないこともある。面白いものを見る楽しみと、差別思想に傷つけられる不安を完全に分けることは今のところ出来ていない。 

この葛藤をSNSのお笑いアカウントで話したところ、同じ思いをしているAさんが声をかけてくれた。Aさん自身もお笑い芸人の女性蔑視な発言を多いと感じつつ、そのような発言が出ることに対しては諦めているという。

そして、女性蔑視の発言を“あまり”しないいくつかの限られた芸人の単独ライブやTV、ラジオを楽しんでいるという。ただ、同時にAさんは、性別で趣味を諦めるのは辛いということも話していた。

その通りだと思う。この現状は「女性蔑視が笑えないやつはお呼びではない」と言われているように思え、自分が締め出される居心地の悪さを感じるのだ。

“若い女の客”に対する視線

居心地の悪さを感じるのは、先述したネタや配信での女性蔑視だけが原因ではない。 お金を出して劇場に行っても女にお笑いはわからない、男は男に認められて一人前という価値観が蔓延している。特に若い女性客に対しての偏見は根強い。 

「売れ出すと劇場にキャーキャー女の子が来る。いっつも相方に言うててん。こいつらは人気あるように見せてくれてすっごい必要な客やけどめっちゃ邪魔やと。俺らをダメにしよる。その子らを笑わすのは簡単やからそいつらを笑わせにいってしまう。でもそういう子らが笑えば笑うほど、『学園祭で身内だけで集まってやっとけ』って状況になんのよ。TVの向こうで寝ながら見てる兄ちゃん笑わせるつもりでやれ。」 

これは2007年発売のDVD「紳竜の研究」に収録されている島田紳助氏の有名な言葉だ。身内だけを笑わせにかかるのは芸人として良くないという意味は分かる。表現の問題などこの言葉の是非は置いておく。

そして13年経った現在、この言説は〝キャーキャー言う〟ことをしない若い女性客をもひとくくりにし、〝若い女は全員、笑いが分からない異性愛目当ての浮ついた客〟という乱暴な要約で引き継がれていると感じる。 

そのことがお笑い好きの若い女性に居心地の悪さを感じさせていることは、ある大学生Bさんのツイートからも分かる。

「私みたいな若い女客がゾロゾロ来るよりも、男性客で客席埋まってた方が100倍嬉しいんでしょどうせ。何回ライブに足運んでもどうせ「芸人にキャーキャー言ってる女子達」で一括りなんでしょ。ワーキャーでごめんなさいね、女子でごめんなさいね、でも見に行くよ、見に行かせてね」。(※)

(※ワーキャー:島田氏の言う“売れてから劇場に来るキャーキャー言う女の子”を指す、お笑いファンが使う言葉。)

お金を払って笑いに行っただけの若い女性が居心地の悪さを感じ、こんなにも卑屈にさせられている。このツイートに多くの反応が返されていることから、一部の客だけが感じていることではないと推測できるだろう。

劇場で芸を見て帰るだけの私も(〝キャーキャー言う若い女の客〟の行動として語られる出入待ちも差し入れもせず)金を払って自分の席に座っているだけで拡大された〝若い女の客〟という虚像を重ねられた経験が何度もある。 

「傷付きますよね、ごめんね女でって」

このような客への差別は年齢を重ねても続く。「若い女の客」という言葉に当てはまらなくなっても「女性客」への蔑視は無くならないのだ。 

「自分が好きなコンビでも男性ファンがいることや客の男女比が半々な事を嬉しそうに話してるの見ると心が虚無になる。」 

これは30代後半のCさんのSNS上での発言だ。

「傷付きますよね、ごめんね女でって。働いたお金で時間つくって笑いに行きたいだけなのに。」

Cさんの思いがとてもよく表れた発言である。

大学生でも社会人でも、20代でも30代でも、自分のお金で席を買って笑いに行って「ごめんね女で」と思わされる。〝キャーキャー言う若い女の客〟の虚像を重ねられることから抜け出せても〝女の客より男の客の方が笑いを分かっている〟という価値観からは抜け出せない。女は永遠に〝お笑いが分からない無碍にして良い客〟なのだ。 

失礼だが、私はお笑い好きな女性の多くを女性蔑視に慣れてしまい疎くなっているのだと思っていた。先述したように女性蔑視のネタで笑う女性も多いし、同じ配信を見ていてもが私が気になった点について言及する人はSNSを見る限り一人もいなかった。しかし多くの気付いている人は、ただ諦め耐えているのだろう。

Bot化する人間たち

さて、客に対する乱暴な性差別を再生産し続けることで演者側には何か利益があるのだろうか。島田氏が言う何をしても笑うような客は何をしても残り、倫理観がある客が離れていくだけなのではないだろうか。

Youtuber兼芸人であるせやろがいおじさんはあるインタビューで「差別する側は息を吐くように差別をすると気づいた」と述べる。せやろがいおじさんとしての動画投稿をきっかけに自分のなかの女性蔑視に気付いたという。「今のお笑い界で当たり前のようにやっている手法も、疑う必要があるなと。」とも述べている。

他にもネタ中の性犯罪を使った台詞を指摘された芸人も「僕は痴漢が悪いことだと分かっています。痴漢を捕まえたこともあります。」と弁明していた。

これらのことから、今まで考えてきた演者の“女の客”“若い女の客”に対する発言にも深い意図はないと推測する。プログラム通りに動く単純なbotと同じ。女=笑いが分からない、若い女=異性愛前提というプログラム。これまでも行われてきたからこれからも行うのだろう。

いたるところにある虚像

ただ、これはお笑いに限ったことではない。目の前の人間は不在のままプログラミングされた虚像に従うBot人間が多いと感じる。 

昨年元号の改正が行われたが、その直前に「渋谷の女子高生300人が新元号を予想したら卍とタピオカが入っていた」というアンケートを取り扱ったニュースが話題となった。

中身をよく読むと卍やタピオカと回答したのは全300人中3人。まず新元号に関するアンケートの対象を「高校生」ではなく「女子高校生」に絞っている時点でこのアンケートの意図を訝しむのは自然なことだろう。 

最近では黒人差別に対する世間の反応に激怒したビリー・アイリッシュがコメントを出したのだが、そのコメントがニュースサイトで「~してくれない?」「でしょ。」という古びた女言葉で和訳されて話題になっている。 

メディアも「女子高生は頭が弱くて卍とタピオカが好き」「女の言葉遣いは激怒していても女言葉」という虚像をプログラミングされ、それにしたがって行動し、再生産しているのだ。 

年齢、性別ゆえの差別がBotと同じシステムで量産されている。 

「女子高生」という言葉にどのような意味を持たせているのか。「女の客」という言葉に含まれた意図は何なのか。詳細を説明せずに済むのは楽なことだが、その単語に一体どんな意味を含ませているのか、口にする前に立ち止る必要があるのではないか。 

かくいう私も「お笑い」とひとくくりにしてきたが、何万といる芸人を「芸人」でひとくくりにするとこれも虚像を生んでしまう。先述したせやろがいおじさんは、最近自身の女性蔑視について新しく動画を出した。このように誠実な芸人が複数いることも確かだ。

文中でもできるだけ「~をした芸人」などで限定するよう心掛けたが、これからも過度な一般化をしないよう、丁寧に向き合っていきたいと思う。

注……文中に登場するBさん、Cさんのツイートについては引用の許諾を得ています。

執筆=あまね
写真=Unsplash


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