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“異性愛”という言葉にドキッとする人に、「異性愛者Tシャツ」製作者が伝えたいこと

突然だが、「異性愛者」という言葉の響きに何を感じるだろうか。「女性と男性の恋愛という普通の現象にわざわざ名前をつけるなんて」「異性愛とは?」と感じるだろうか、もしくは「自分は異性愛者である」「馴染みがある」と感じるだろうか。

私は現在「全性愛かつ選択的レズビアン」を名乗り、気が向いた時に女性やレズビアンカップルのイラストの制作、Illustratorというデザインソフトの練習を兼ねてロゴ風のメッセージを制作している。全性愛でありながらもレズビアンを選択しているのは現在の社会への抵抗という意味合いが大きいのだが、とりあえずレズビアンだと思っていただきたい。

なぜ私は「異性愛者Tシャツ」を作ったのか

タイトルにある「異性愛者Tシャツ」は、私がSUZURIで販売しているメッセージ系グッズのひとつだ。

NOT異性愛者T

はじめは「何も言わない=異性愛者だと決めつけられたくない方へ」というコンセプトで「NOT異性愛者Tシャツ」というロゴを制作し販売していたが、「異性愛者バージョンもあれば」という声をいただき、NOTがないバージョンも制作したのが大まかな流れである。

わたしが異性愛者Tシャツをつくる理由は、簡潔に言うと「マジョリティを透明化させないための名指し返し」であり、「この世は誰もが異性愛者だという前提への批判」である。

マジョリティに名前をつける「名指し返し」

「名指し返し」という表現は、荒井裕樹著『障害者差別を問いなおす』で知った言葉だ。この本は脳性マヒの人たちによる団体「青い芝の会神奈川県連合会」の活動や思想を主軸に障がい者差別について書かれたもので、第三章のなかに「障害者」 に対する「健全者」という言葉についてこのような記述がある。

「事実、この言葉は、障害者(マイノリティ)の立場から、障害者でない人たち(マジョリティ)を可視化するための役割を果たしました。」(『障害者差別を 問いなおす』92p) 
「一方的に名指される側にあった「障害者」の立場から、自分たちを名指す人たちを、『健全者』と名指し返したのです。」(『障害者差別を問いなおす』96p)

私は脳性マヒの人と対比すれば「健全者」であるため、この表現をそのまま借りることには慎重にならなければならないが、同性愛と異性愛について語るときにこの本で得た「マイノリティからのマジョリティへの名指し返し」という表現を借りることが多い。

もちろん、「わざわざ対立させる必要はない」「マジョリティに該当する範囲は?」 という声も出てくるだろう。それでもマジョリティに名前をつけることで形を与え、「第三者的な位置や傍観者的な位置にいること」(96P)を許さないために必要なことなのだ。

異性愛=「普通」だと思わない方が難しかった

私は、まだはっきりとレズビアンについて考え選択する前から、異性愛が前提の社会であることにずっと辟易していた。

学校で恋愛的・性的に惹かれる男性芸能人を聞かれることや、仕事場や美容院で投げかけられる「彼氏は?」「ご結婚は?」という雑談。雑誌や書籍で目にする写真や文章。街で見かける広告。有名な漫画やアニメ、映画などのストーリー。このように異性との性愛以外は存在しないかのような異性愛至上主義は未だに溢れていて、異性愛=「普通」だと思わない方が難しい状況だ。

「もしかして自分はどちらかというとレズビアンなのかもしれない」ということを考え始めた頃、トッド・ヘインズ監督作品『キャロル』とパク・チャヌク監督作品 『お嬢さん』を鑑賞する機会があった。ちなみにどちらもレズビアンが主体として登場する作品だ。

鑑賞しているうちに、今まで異性間の恋愛や性行為の描写が登場する度に感じていた居心地の悪さを感じていないことに気がついた。同時に、「レズビアンカップル」や「女性が女性とともに生きる」ことは夢物語だとあらゆる作品を通して思い込まされていた状態だったことにも気がついた。今まで見てきた作品では、どんなに仲がいい女性たちでも最終的には突然登場した(ようにみえる)男性の存在によりその関係は消滅することがほとんどだった。

「レズビアンカップル」や「女性が女性とともに生きる」のは期間限定のことであり、最終的に女性は男性と人生を共にするのが「正しい」のだとあらゆる作品は繰り返し描いていた。同性愛は学生の時だけの気の迷いで「儚い」から美しい。ちゃんと市場価値があるうちに異性と結婚しなければ「未熟」である。そろそろ女だけで遊んでないで彼氏でも作らないと……とあらゆる登場人物や物語は語りかけてくる。

それらを気がつかないうちに内面化していた自分にとって、『キャロル』と『お嬢さん』は衝撃的だった。異性愛の押し付けに反発していたはずの自分自身も、そういうメッセージにずっと触れることで、異性愛=「普通」だという呪いにかかり、「異性愛は普通で正しいから感動しなければならない」と無理やり違和感や居心地の悪さを押し込めていたのだろう。

そして改めて自分のことを振り返り考えるうちに、全性愛ではあるがミソジニー的な言動の多さから男性が苦手だということを認めてもいい、女性といた方が安心すると思ってもいい、レズビアンを選択してもいい、社会に抵抗してもいいという許可を自分に出し、選択的レズビアンを名乗るようになった。

それ以降、反動のようにこの社会には異性愛描写が溢れすぎていると感じるようになったのだが、その結果のひとつが今回のTシャツ制作なのだ。

名指されることに対する反発心こそが狙いだ

「異性愛者Tシャツ」の目的は、「同性愛」のようにあえて名前をつけられる立場から「普通という意識すらないほど透明化しているもの」に名前をつけ、形を与え、引き込むためだ。

少し前に、「驚愕してる人がいるけど、そうだよ。『異性を好きになる』のは立派な性的指向だよ。」というレインボーフォスターケア(RFC)さんのツイートが話題になっていたが(2020年8月20日投稿)、実際まだまだ気が遠くなるほどこういう認識の人は多いのだろう。

異性愛者ロゴ

突然名前をつけられマジョリティだと名指しされるわけなので反発心もあるだろうし、私も意識すらしていなかった部分を「深く考えずに済んでいるマジョリティの特権」だと言われたら、一瞬反発心が生まれてしまうことは想像に難くない。だがそれこそが狙いであり、マイノリティの叫びでもあるのだ。

どうかこの文章が、今の社会で異性愛がいかに「前提」「普通」として扱われているか、他人との会話において「異性との性愛を前提として押し付けていないか」ということをふと立ち止まって考えるきっかけになればと思う。


参考資料
・異性愛者Tシャツの販売はこちらから
 ・『障害者差別を問いなおす』(荒井裕樹著)

執筆・「異性愛者Tシャツ」「異性愛者ロゴ」画像提供=AOI MG
トップ画像=Unsplash

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