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第十五話 「なんにもない」

当時私には何もなかった。あったのは、兄の机に並んである本と、自作のゲームのみである。本を読んだり自作のゲームで遊んでいる時は、違う世界へ旅立つことが出来た。が、それにも限界がある。本はほとんど読み尽くし、自作のゲームも、やっている自分がだんだんとバカらしくなってきた。やはり本物のゲームには敵わない。引きこもりに飽きた私は、学校が休みの日になると、友達の家に入り浸るようになる。そして、友達の家に行くたびに、自分の家とまるで違うことにカルチャーショックを受けることになるのだ。

まず、何と言ってもファミコンがある。私はここぞとばかりにファミコンに明け暮れる。なんなら友達と遊ぶというよりファミコン目当てだった。

なんておもしろいんだ。嫌なことが全部吹き飛ぶ。これが家にあればどれだけいいことか。

次に、おやつが出てくる。おやつなんぞは保育所以来である。
なんということだ、おやつは一般の家庭でも出てくるものだったのか。
私はありがたく頂く。

次に、自転車である。そういえば、友達はみな自転車に乗っている。自分の家には母用の自転車しかない。私はいつも徒歩だ。乗り方を知らない。
そうか、この年頃の男の子は自転車に乗れるのが普通だったのか。

次に、兄弟だ。私にもいることはいるが、兄は七つ上、妹は七つ下である。話など合うわけがない。どこか遠い存在である。だが、友達の家には必ずと言っていいほど年の近い兄弟がいた。うらやましい。今思えば、私には親戚にも年の近い人が全くいなかった。わざとかと思うほど全くだ。大体、すごく上か、すごく下である。

次に、誕生日プレゼント、クリスマス、七五三などのイベント行事だ。何やら友達の家にはいろんなイベントがあるようだった。冗談抜きで、これらのイベントの存在を、私は友達の家を通して知った。保育所時代に何かしら催し物をやってくれていたのだろうが、記憶にない。唯一知っていたのはお正月くらいだ。七五三にいたっては、もうとっくにその年齢を過ぎていた。クリスマスに関しても、何やら、髭の生えたおじいさんがプレゼントを持ってきてくれるらしいが、私の家には一度も来たことがない。どうやら人を選ぶらしい。

こういった経験から、私はいまだにクリスマスで盛り上がっている世間を見ると、違和感を覚える。キリスト教の信者の方が祝うのはわかる。だが、そうではない人までつられるように祝う必要があるのか。なかば祝う事を強制させるムードまである。そのくせ、キリスト教の勧誘で自宅に訪れた際には門前払いだ。これが日本だと言えばそれまでだが、なんとも不思議な国である。

話を戻そう。

誕生日プレゼントもなかった。覚えていないだけなのかも知れないが、覚えていないということは、その程度だったということだ。貧乏な家には、誕生日プレゼントを渡すといった文化は生まれないのだ。

そして何より、友達の家にはお父さんがいて、優しいお母さんがいた。優しすぎて照れてしまう程だ。自分の家とはまるっきり違う。

このように、私は友達の家と自分の家を比較して、いろいろな事を学び、改めて、自分の家が圧倒的に何もない家だと認識する。

友達の家を出て帰路に就く。夢のような時間が終わり、自分の家が近づくにつれて、暗い気持ちが押し寄せてくる。

肌寒い部屋に戻り、辺りを見回す。

なんだこの家は。なんにもない。

今日も夜な夜な義父の怒鳴り声で目を覚ます。またケンカだ。

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