待つのが上手な人と下手な人
どーも!しし.です!こっそり名前変えてます。
本題に入る前に、今回はなんと、わたくしのXでのフォロワーさんに無茶振りをして記事のテーマをいただきました!
「誰かにお題をもらってそれについての記事を書く」
っていう取り組み面白そうだなって一人でニヤけてます。
もし、「これについて書いて欲しい」っていうことありましたら、ぜひコメント下さいね!知識無さ過ぎて書けるかはわかりませんが(笑)
また、有料設定にしていますが、全文無料で読めますから安心して下さいね!
「スゴくスキ!」と思った方は、お布施のような感覚で購入していただくとやる気出ますので応援いただくと幸いです!
ということで本題
ところで私は、待つのが大の苦手、いや、嫌いである。厳密に言うと、「嫌いになった」が正しい。なぜかというと、これはもう、宅配便の配達の仕事をやっていたからに他ならない。
経験された方ならわかると思うが、宅配便の配達業務は、尋常じゃないくらい、常に時間に追われている。インターホンを押してからの配達員の頭の中は、
「早く出てこい」
「不在かよ」
これ一色、いや二色である。
かくなる私も、そんな宅配の仕事を6年間やっていた。よく6年ももったなと思うが、当時の私は、「やらなきゃならない理由」があった。借金があったのだ。高卒で資格も何も無い自分がそこそこの収入を得るには、肉体労働しかなかった。
毎日荷物と客と時間に追われ、それはもう、大変だったのだが、なんとか借金をすべて完済し、ようやく気が楽になった矢先、安心して気が抜けたのか、そこから体調がおかしくなり始めた。
いまだによく原因がわからないのだが、おそらく、「自律神経失調症一歩手前」みたいな状態になり、様々な症状に苦しみ、車の運転が怖くなってしまい、宅配の仕事から退くことになったのだった…。
散々、仕事で時間に追われたためか、今ではすっかり、
「待つのがイヤになった」
「少しもだ」
おかげでどうだ。最近、自分の住む県に、カップラーメンでしか食べることが叶わなかったお店がオープンしているというのに、
「少しも並びたくない」
との理由で、行く気にならないのだ。
別のラーメン屋では、わざわざお店の駐車場まで足を運んだにもかかわらず、
「混んでいる」
という理由だけで、そこでメシを食うのをやめるのだ。少し待てばすぐに席が空きそうだというのに。
そんな特性のため、外食をめっきりしなくなった。行くとしても、メシ時を避け、早朝や、おやつの時間や、深夜などに行くようにしている。
すっかり、待つのがイヤになった私だが、とはいえ、せっかちかといえば、そうでもないのが自分でも不思議な点で、どうあがいても、
「待つしか無い」
となれば、いくらでも待てるのだ。今は、スマホがあればいくらでも時間が潰せる(潰すという表現は好きくないが)。待っている時間で、noteでも読んでいれば、あっという間に待ち時間は過ぎる。これに関しては、スマホって便利だなとつくづく思う。
また、ドライバーの仕事を長くやっているおかげで、ノロノロ運転の車も気にならなくなった。仕事で運転するのと、プラベートで運転するのとでは、感覚がまるで違うのだ。運転中は、自分の感情など助手席に置いて、
「とにかく安全に」
走行することが求められる。
…という思考プロセスを経て、記事のテーマに自分を照らし合わせると、
私は、
「待つのが上手だが嫌いである」
「極力待ちたくはないが、待つしかないとなったら堪えられる」
そんな人物なのだと、記事を書きながら自分を再認識することが出来た。
まぁ、人間というのは、とても曖昧な生き物で、いろいろと経験しながら、自分なりの価値観ってものを構築しては崩れ、創造しては壊され、確立した気になっても次の日には覆されるといった、そんなことの繰り返しのように思う。
待たされてケンカになったり、待たせる側になって気まずくなったり、前回待たされたから今度は待たせてやろうとしたらさらに遅く来やがったり、「待つ前提」で考えてゆっくり行ったら先に着いてたり、最終的には、集合時間をはっきり決めずに「何分頃」と曖昧にしたり…。
そうやって試行錯誤しながら、自分にとっての時間の感覚が研ぎ澄まされていくのだろう。おそらくそこには、「上手」も「下手」も無くて、
「自分が時間をどう捉えているか」
を確認する良い機会と捉えるといいかもしれない。
時間を命そのものと捉えている人にとっては、「待ち時間」の重みを理解しているだろうから、毎回待たせる人とは距離を置いたりするかもしれないし、そもそも「待ち時間」というものを作らず、主体的に何かに取り組む時間に変換するかもしれない。
とはいえ、福山雅治を待っているのなら、いくらでも待てるのだろうから、待っている時間すらも有意義なものになる。
つまり、
「待った先に何が待っているか」
が重要なのかもしれない(あえてややこしい言い回し)。
待つことを苦痛に感じるのなら、それはあなたにとって、重要な人(事)じゃないのかもしれない。
逆に、いくらでも待てるというのなら、それは、あなたにとってそれ相応の価値があるのだと思うのだが、いかがだろう。
とりあえず私は、これを読んだあなたからの反応を待っている…。
なんてね!じゃあな!
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