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ガチャ

いきなりだが私は、

「親ガチャ」

という言葉があんまり好きじゃない。いや、正直に言うと、あんまりどころか、好きじゃない。というか、嫌いだ(最初からそう言え)。

上司ガチャ、先生ガチャ、しまいには「子供ガチャ」に至るまで、

「自分には選択することができない運の世界」

を、ガチャガチャに例えて表現している。この言葉自体には名付けのセンスを感じるのだが、意味的には好感が持てない。

「親ガチャはずれちゃってさー最悪だよー。おまえんとこの親はいいよなー」

「うちの上司最悪よー。全然仕事しないし、上司ガチャはずれたわー」

などなど、主にネガティブな意味合いで使われるこの言葉は、日々いろんなシーンで使われていることだろう。

おそらく今の私なら、こういう発言をする人とは、距離を置く。ネタで言っているだけならいいが、マジで言っている人とは関わりたくないというのが本音である。

ネガティブなガチャ発言を聞いた時に真っ先に思うことは、

「で?」

だ。それしかない。

ガチャがハズれたのはわかった。で、あなたはそれに対してなにか行動は?

私は、麻雀が好きだ。麻雀は、それこそ「ガチャ」によって与えられた牌を、自分の目指す理想形に向かって一歩一歩進む。ありたい姿に進む中で、人に先を越されたり、邪魔されたり、悩みながら、次々与えられる「選択」をこなしていき、結果、うまくいったり、なにも出来なかったりしながら、対局を終えていく…。

これはもう、「人生そのもの」である。

「麻雀は、人生の縮図である」

という、私の麻雀哲学は置いといて、

どうあがいても、与えられた材料でやっていくしかないのである。

生きていれば、ウンザリするようなガチャに出くわすこともあるだろう。

私も、母子家庭の貧乏な家に生まれ、義父はクズ野郎で、一時はこの家に生まれたことを呪ったこともある。

だがそれでも、諦めずに、突破口を探すんだ。

麻雀をやっていると、最初に与えられた配牌が、信じられない程クソな…失礼しました、バラバラの配牌が来たりする。

だがそれでも、手を進めるうちに、見違える手に変わり、アガることすら出来る時があるのである。

本当に、人生はわからない。

わからないのだから、わかった気にならずに、ただ淡々と、そして燦燦と、

「自分に出来ることを出来る範囲でやっていけばいい」

のである。

「運は頼むものではなく、引き寄せるもの」

ってどっかで見たか聞いたような気がする。

確かに。

この記事に出会ったあなたは、記事ガチャには成功したようだ…。
それではお後がよろしいようで…じゃあな!

あー!失礼しました!それではまた別の記事でお会いしましょう!

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