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文庫本の解説の

文庫本には、解説文がついている。

例えば、古い作品の解説では作者の人生や時代背景について書かれていて、海外文学であれば社会背景・文化背景について説明されている。その中には、授業で聞いたようなものもあれば、全く知らないこともある。

また、何度も同じ作者の解説を読んでいると、その作者の人生を繰り返しなぞることになるし、特定の場所・時代・テーマの作品を繰り返し読んでいると、その分野に少しずつ詳しくなる。すぐに忘れてしまうこともあるけれど、また思い出す。

あるいは、この箇所はこんなことを感じるだろう、〇〇を表しているだろう、といった解説者の解釈が入ったものもある。こういう形式の解説は、自分の読み方と比べたり新しい発見ができたりして、映画を見終わってから友達と感想を言い合うような楽しさがある。

このように、解説文のスタイルは一つでない。そんな中、私にはずっと気になっている解説文の形式があった。それは、ほとんど本文の抜粋で構成された解説文である。

気になる、というのは、純粋な疑問というよりも、なんでやねん、というツッコミも入ったような感情であって、そこは作品の本文で読んだし、もっと解説者の解釈とか背景の知識を知りたいのだと。そう思って読んでいた。

そして、先日読んだ本の解説文も、抜粋ばかりとは言えないものの、抜粋箇所が多かった。

ただ、そのときは、なんだか急に納得したというか、本文をたくさん抜粋する理由がわかった気がした。

というのも、本文以上に作品を表せるものなんてないんだな、と思ったからである。作者がそう表したなら、それが一番良い形なのだろう、と。言い換えはときに削ぎ落とし、抹消し、捻じ曲げてしまうなんてことは知っていたはずだった。

何かを加えたとしても、プロの解説者の方々が本文のエッセンスをぐちゃぐちゃにするわけはないのだけれど、やはりその作品を一番よく説明しているのは本文であって、その本文をたくさん引用して解説を行うのは、敬意と律儀さの表れなのかもしれない。

そんなことも知らずに、「本文そのまま」をたくさん使っている解説に不満を持っていた自分を、少しばかり恥じた。つまらないと思っていることは、自分が何かを見落としているからであった。

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