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書案六尺 〜 ハードボイルド

本は基本何でも読む口である。自己啓発・いかに生きるか的なのは無しで。
その中でも子供時代から読んでいたのはハードボイルド物だ。子供なのに…なのだが、家の書架にあったのがその手のが多かったからとしか言いようが無いのである。

齢8歳位の私は、本の虫というのではなく、既に活字中毒だったのだろう。学級文庫(懐かしす)の本などはとっくに平らげており(他のクラスのも)、いよいよ電話帳に手をつけるほどであった。そんな子供が次に目をつけたのが親父の書架である。

狭い家にしては結構重厚なもので、椅子など使って高いところのラインナップを見ていた私の目に飛び込んできたのは『OHB』3文字のアルファベット。
引っ張りだして読み始めたら、これがもうなんだか止まらずにひたすら読み耽るという始末。
このOHBの意味は『大藪春彦文庫』であった。

当時のアンチからはエログロナンセンスと言われていたジャンルのトップランナーと言える作家の初期の短編や名著『野獣死すべし』なども収録されている今残ってたらもう一度読みたかったものだ。

当然お袋殿は、小学生にこれはやめさせてよと親父殿にいうのだが、別にこの手の本読んだら皆んながハードボイルドな男になるわけじゃないんだから好きにさせとけ的な切り返しをして書架の本へのアクセスはフリーになった。
(確かにそうはならなかった私)

氏を揶揄する評論家などは「カタログ小説」などと言うほど、武器・車・ツール・食糧等の描写がやたら詳細に語られるのである。
バイオレンスやムフフな描写も当然あるのだが、そこに至る動機・衝動・状況が語られた後なので違和感や不気味さもなく読めてしまった。
ムフフな部分については当時の私には流石にわからなかったが、後付けで思い出すと、淫靡と言える空気感くらいは感じていたかなぁ。

特に惹かれていたのは、食物摂取の描写である。
文字通り淡々と主人公がその場で体が欲している食物を摂取していくのだ。旨いだなんだのグルメ感の一切ない文章 例えるなら『10ポンドのティーボーンステーキを、5キロのブラッドオレンジと1ガロンのブラックコーヒーで胃に流し込む』といった感じだ。

50手前で、食の道を齧った私だが、きっかけの一つになったのは間違いない。
旨そうに感じたのだ。(いくら大食漢の私でもこれは無理だけど)

長ずるに及んでも氏の作品は読んでいた。
既存の権力者への嫌悪、親兄弟の仇、求める生活への達成手段 いずれもこれらへの強烈な動機の為に、戦いを挑みながらも愛情を捨て去ることの出来ないニヒルな昭和の男が主人公の一大叙事詩の様な展開に、ついつい降りる駅乗り過ごしたことも多かった。

そんな氏の作品も、晩年のものはとてもじゃないが作品と呼べるものではなくなっていた。(そう感じている読者殆どだと思うけど)
勝手な想像でしかないが、人間が生きていく上での強烈な動機(文書化するのは難しい)がなくなったのだろう。
大薮作品のハードボイルド終焉となった訳だ。

つらつらとハードボイルドについて書いていたら、これも書きたいなと思う作家がノコノコと頭から這い出してきた。
次回もおそらくテーマ同じで物してみたいと思う。


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