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平和の定義

昨日街を歩いていると
警察官と犯人が追いかけっこ
しているのを見ました。

横にいた彼氏が
犯人の足をかけようとしましたが失敗して
「しくじった」と言っていました。

私は内心しくじってよかったと
感じてしまいました。

そしてすぐにいくつかの出来事を
連想しました。

一つは彼氏や連れの男性が
同じように危なそうな人に
絡んでいって
「やめてほしい」と思った出来事

二つ目は
少し前にあった博多駅での
殺傷事件でした。

この殺傷事件の後に
知り合いがInstagramのストーリーに
傍観していたたくさんの人たちへの
批判を述べていました。

たしかに歴史上でも
たくさんの人が目撃する中で
誰も止める事なく
殺害が行われてしまうことは
たびたびありました。

批判のストーリーを上げていた
知り合いは男性でしたが
私はその場にいる人たちを
咎めることは出来ないと思いました。

きっとほとんどの人たちは
どうすることもできず
恐怖で足がすくんでいたか
逃げ出したくなったと思います。

腕っぷしに自身があったり
武道の心得がある人以外は
刃物を持っていて逆上した犯人を
止めるということは
リスクでしかありません。
まして加害者被害者が他人であれば
なおのこと。

私は武道も喧嘩も
縁のない人生を送ってきたので
いわゆるこういった「修羅場」に
直面したら逃げることだけを
考えてしまいます。

そんな人が多数派の社会は
果たして健全なのか?

それを感じ始めている人が
増えているようにも感じます。

これが話を大きくするならば
昨今ニュースで扱われている
日本の「抑止力のなさ」なのかも
しれません。

日本という国は
「同調圧力」や「秩序」で
戦争放棄による「平和」が
この70年間保たれてきました。

それが故に
「武力」を持たない人々が
多数派になり
ひとたびこのような「秩序」が
乱された時に
戦う手段を持たないのです。

だから私はそのストーリーを
投げかけた知人の言うこともわかりますが
「助けなかった個人」が批判されるべく
問題ではなく
もっと根が深いと思っております。

そんな中でも私の彼氏は
私と違って喧嘩などもしてきた
経験がある人なので
私よりかは修羅場慣れしているのかも
しれませんが

それが故に
こういった「秩序を乱す」人の
神経を刺激してしまうこともあり
心配しています。

戦争が始まったら
「自分は闘いに行く」と語る彼氏は
普段から戦争ものの映画などが好きで

私は全く関心がないため
この観点では価値観は相違しています。

私は戦争が始まったら
生き残るために逃げるでしょうし
彼氏もそうしてほしいと思っています。

ただ私に武道の心得があったのなら
とる行動や意見は
変わってくるのかもしれません。

戦争の反対は平和なんて
教えられてきた私たちですが
そんな簡単なものじゃないと
最近多くの人が気づき始めている
かもしれません。

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