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非日常で感じた懐かしい感覚たち③

続きです。

帰り際に海岸に寄ったのですが
1匹の人懐っこい猫が
私の元へ寄ってきました。

その時に彼氏が
「SISちゃん、その猫シッポが千切れているよ」
と思わず叫んでいたので
びっくりして離れました。

おそらく長いスカートを履いていたので
血で汚れることに
気を遣ってのことでしょう。

千切れたシッポは生々しく
真っ赤な骨が剥きでていました。

「痛いんだろう、ずっと舐めてるから
 化膿してなかなか治らないんだよ」

街中で見かける猫は
こんなに人懐っこいことはなく
私も少々びっくりしていましたが

おそらくそこは夏は
海水浴客で賑わうものの
冬のこの時期になって
訪れる人はおらず

夏の間に海水浴客に
食べ物をもらっていたのだと
推測されます。

食べ物も持っておらず
地元でも無く
レンタカーで時間の限りがある私たちは
なすすべなくその場を去ることに
なりました。

お腹を空かせて
ずっと助けを求めるようになく猫に
何もしてやれず
逃げるように去らないと行けなかった私たちは

地元で自分の車だったなら
どんなことをしてあげられただろうと
考えざるを得ませんでした。

帰り着いた後も
猫の看板などを見るたびに思い出して

「あの猫は大丈夫だろうか」
と気掛かりになります。

普段は生産性重視で
「たられば」を考えるなんて
無駄でしかないと考えがちな私ですが

それはそう考えることで
十分精算できる程度の心のひっかかりしか
起きないことしかないからで
それがどれだけ恵まれている環境なのだと
実感させられました。

またその猫に対して
何かしてあげたいとかしてあげたかった
というような感情なんて
そもそも自分の中に残っていないと
思っていました。

昔施設に行って
「私は感情移入しちゃって
 こういうところだと持っていかれそう」
と考えていたのは
若さゆえだと思っていたのですが。

帰りがけレンタカーを
返す時にもなんとも
寂しい気持ちが湧いてきました。

旅行なんて何回もしてきたつもりなのに。
こんなに終わるのが惜しいなんて。

こどもの頃
旅行が終わって日常に戻ることが
すごく寂しかったのを覚えていますが
その感覚すらもここ数年は
あまり感じていませんでした。

日々のルーティンの中で
年を重ねるごとに
感情の起伏が緩やかになり
また私自身もそれを望んでいたはずなのに
ここ最近ではなんだか
強い感情を感じることが減り
物寂しい感じすら覚えていました。

年を重ねて忘れてしまったと思っていた感情も
潜伏しているだけで
非日常の中でふと出てくることがあります。

もちろんそれは
ポジティブな感情ばかりとは限りませんが
だからこそ
旅行はおもしろいし
また日常の恵まれた状況に
気づくチャンスだと感じました。

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