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1人の人間でいたい

妊活を初めて半年。未だ私たち夫婦の元にお子はやって来ません。
アラサーと表現して来ましたが、実は今年で30歳という節目の年を迎える私。
周りの友達は出産ラッシュ。第二子、三子の報告も増えました。

元々すごく子供が欲しいと思っていたわけではないけれど、半年チャレンジしても授かれない今、若干の焦りが生まれている自分自身に驚いています。

夫婦共に病院で一通りの検査をしましたが、共に異常なし。このまま一年以上授かれなければ、いわゆる原因不明不妊という枠に当てはまるのかもしれません。

これまでにも書きましたが、私はこのまま夫婦2人(と、数匹)の生活もいいなとは思います。
が、お子がいる全く新しい人生をスタートさせるのも悪くないのかなと思い始めるようになりました。
きっと妊活を始めていなければ、半年授かれていないという現実がなければ、生まれていなかった感情だと思います。

それでいうと話は変わりますが、
この世には、深く考えずに妊娠・出産する(できる)人がいます。

その人たちが悪いとは思いません。ただ、不思議なのです。

子供を持つということは、自分達の手で一つの命をこの世に生み出すというわけで、神様みたいなことをしているとさえ思います。

上のような考えを人に言うと、「子供が成人するまでなんてすぐだし、あっという間に手が離れるよ〜」と言われることもあるのですが、自分の中ではそうは思えなくて。

一つの命を産み出したら、その子に一生責任を負う、と言うことです。


文字通り、死ぬまで。


大袈裟な!と思うかもしれません。でも私は良くも悪くも責任感が強いので

生まれてすぐはもちろん、成人してから自分が死ぬその日まで

ずっと頭の中に、常に我が子の存在があり続けると思うと

プレッシャーで押し潰されそうになる感覚があります。

今までは自分のことだけを考えて生きていればよかった人生が、自分とは別人格の人間の存在で埋め尽くされる感覚。

まだ子供がいない今、想像ですがそんなことを思います。

悪くいうと、
自分の人生を犠牲にするという感覚がどこかにあって。


伝わるかわからないのですが、

例えば子供が産まれたら自分は「お母さん」

両親は「おじいちゃん・おばあちゃん」になります。

たかが肩書き、されど肩書き、それが変わるだけ。でも、それがすごく怖い。

子供が産まれたら、自分のご先祖さまが繋いできた命のリレーの内、自分のターンが終了してしまうというか…
今までの人生大したこと成し遂げて来てないのに。こんなんで私のターン、終わっちゃうんだな。
なんてそんな感覚で。 

子供が産まれたら、1人の人間である私が

一瞬にして「お母さん」になる。

自分がお母さんと呼ばれる存在になるのが気持ち悪い感覚と、

両親がおじいちゃん・おばあちゃんと呼ばれるのがとても寂しいと思う感覚とがあります。


知恵袋で私と同じような考えの人が「私はおかしいのでしょうか?」

と質問していて、叩かれていました。

世間から見たらおかしい、少数派の人間なのでしょう。ただ、そう思ってしまうものは仕方がない。こんな自分に苦しめられてもきました。


最近、タレントのryuchellさんが「夫」である自分が苦しいとお話されていましたが、肩書きが持つ意味や役割は、人によっては相当なプレッシャーと共に自らを苦しめることにもつながるものだよな・・・とも思いました。


お母さんとか、ママとか、自分がそう呼ばれることに違和感がある人は、もし子育てをすることになった場合、どう生きていけばいいのでしょうね。

忙しくてそれどころではなくなるのかもしれませんが、、

もしかしたら子供というのは、こういう考えも覆してしまう存在なのかもしれません。

いずれにしろ、産まれてみないと何も答えは出ないですね。


see ya

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