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ねがい。

どの言葉からはじめようか迷いを感じながら、今日もnoteをひらいて想いを綴る。

下手な言葉でせいいっぱい、めいっぱいこめて。

一昨日(10/21)は、夏が始まる前に写真を通じて出逢った方と二回目のおでかけを果たした。
その方は、最初からあたたかい言葉を与えてくれた、まるでふたり目の母のような人で、その日は色々な場所に連れて行ってくれました。

知っているようで、知らなかった、神様がいるところ。

最近は白いコスモスもすき

その場所でわたしはそっと、神さまにおねがいをしようと思っていたことがありました。

同い歳の心友、ただただ彼女のしあわせを切に。


彼女とは約15年間、喧嘩をして笑って、お互いを心友として認識しながら生きてきました。彼女が知らない私の人生がある中で、私も知らない、彼女の人生があるでしょう。一体どのくらいのことを知っているのかなんて、きっと知らないことの方が多い。もっと探したら沢山出てくると思う。
お互いの言葉や行動で、傷ついたことも、傷つけてきたことも沢山沢山ある。

あるけれど「傷つけていた事を知らない事」 はもっとあると。

というのも、傷ついたことを「傷ついた」と訴えられる関係になったのは、つい最近のことでした。わたしからではなく、彼女から言ってくれたのでした。そして、わたしも「傷つけてしまってごめんなさい」とこころから言いました。

思えば、はじめてお互いを許しあった日だったかもしれません。

ふたりのなかで、大人になった瞬間だったのかもしれないね。それはきっとしあわせなことだね。

そんな彼女のしあわせを、いちばんに願っていたいです。だから、結果としては今回は神さまにはお願いはしなかった。それが神さまからの応えでした。わたしはわたしの心友のしあわせを、いちばんに願っていたいから。それを叶えられるのはきっと、わたしやわたし以外の彼女の大切なひとだから。

ススキにあたたかさを感じて

いつだったか彼女は言った。
「あいたいときに、あえる存在っていいね」と。

そう言う彼女にわたしは 今日も、あしたも、この先何十年もあいたいと、おもう。そして、あいにいこうと想う。

たくさんの想いをこめて。

それから画面の向こう側のあなたへ今日も、たくさんの愛を込めて。

白幸。

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