姉弟日記 『箱入り』
引き戸を開けると香る、埃の匂い。
今まで暗がりにあった布団や荷物達を、
柔らかな休日の日光が照らし出す。
少女は押入れの中を見渡すと、
よしと小さく頷き片づけを始めた。
彼女と父親が暮らす、安アパート。
けれど隅々まで掃除が行き届いており、
部屋の古さに反して綺麗に見える。
少女はその日、普段はあまり手を付けない、
押入れの中を整理しようと思い立ったのだ。
……石造りの塔が立ち並ぶ、
不思議な世界を旅した夢。
その夢から覚めてからというもの、
以前の高校生活が嘘だったかのように、
彼女は穏やかな日常を過ごしていた。
でも、何かをしていないと落ち着かなくて。
少女が押入れの中をいじり始めたのも、
家でできることを見つけたかったからだ。
整理を始めて間もなく。
記憶の端にある段ボール箱を見つける。
箱の中に詰まっていたのは、
ここへ引っ越す時に捨てられなかったもの――
幼き思い出に何度も登場する、
『ひよこのぬいぐるみ』だった。
その愛らしい姿を見ると、
まだ何も諦めていなかった頃の
眩しい日常が心に蘇っていく。
少女はおそるおそる、
ぬいぐるみを抱きしめた。
まるで幸せが詰まったかのような、
柔らかくて丸いもふもふの体。
ちょっとだけと言い訳しつつ、
少女は幼い日のように戯れてみる。
おでこ辺りのふさふさの毛を撫でてみたり、
畳に寝転んで、ぽんと天井へと投げてみたり。
そんな行為に意味があるのかは分からない。
けれど昔は、こんな他愛のない時間で、
嫌なことを上書きできたことを思い出す。
………………
…………
……
名前を呼ぶ声がする。
重たい瞼を開く。
少女はいつの間にか、
ぬいぐるみを抱きしめながら眠っていた。
寝てしまったことへの罪悪感が、
いつもの癖で胸の内に滲みそうになる。
だがその時は、そんな気持ちを晴らすように、
香ばしくいい匂いが部屋に入ってきた。
台所から聞こえてくる、
「もうすぐカレーができるよ」
という穏やかな父の声。
ぐっすりと寝てしまったからか、
父が夕食の準備をしてくれていたのだ。
少女は慌てて謝りつつも。
たまにならいいよね……と、
少し甘えてみることにする。
部屋を見渡せる棚にぬいぐるみを置いて。
少女は台所へと、父の手伝いに向かった。
どこにでもある、親子のひと時。
それがいつか終わるなどと、
多くの家族は考えもしないだろう。
その時の少女も、その一人であったように。