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人生の持ち物

 衣替えの季節で、普段は中をいじらないクローゼットをかき回す必要が最近あった。
 独り暮らしをするために、一人で引っ越し準備と荷ほどきをしたときも思ったけど、普段は手に取らないし目にもいれない物が「しまうスペース」にはたくさんあった。

 はて、なんでこんなにモノがあるんだろう。

 モノと家具がそこそこあるせいで引っ越し料金が高くなって、資金の限られた身、泣きそうになったことを思い出す。

 その時は、高校時代に行った演劇や、コンサートのパンフレットがたくさんあった。折り込みチラシも全部入ってる。学校時代のノートがほぼ一式。友達がくれた手紙はもちろん、友達がちょっと落書きしたようなお菓子の袋まであった。

 今は「いらない」と理解しているそれらを大事に取っていた理由は今ならわかる。
 2年くらい前に話題になった本に「その女アレックス」というミステリー小説がある。どんでん返しの構成と内容が評価されたことはさておき、タイトルにもなっているアレックスという女性がゴミ袋3つに思い出の品を泣きながら詰めて捨てるシーンがある。他の登場人物がその中身を見て「どれも子供じみたものばかりで三十歳の女性の物とは思えない」と語る。「安物の髪留めや映画の半券」といったものばかりだったから。

首をかしげる登場人物に、「普通の人は年を重ねて子供時代が上書きされる出会いや趣味を見つけるけど、彼女にはなかったんだよ。つながりの薄い品やガラクタでも、それとつながっている思い出以上のものが得られなくて、他には何も残ってないから」とツッコんだ。わかってないなあと、思った後に気がついて愕然とした。

自分も同じだ。

だからその「持ち物の謎」が理解できた。ほんのささいな描写だけど、「その女アレックス」で一番印象的なシーンになった。今読み返すと思っていたより短い描写なことにもちょっと驚いた。思い手補正って怖いね。

引っ越しの時追加料金で泣きを見るハメになったのは、そんなガラクタを持ちすぎていたからだ。「特別な思い出」とはいえない単なる「過去の持ち物」すら後生大事にとっておくほど心の閉じた、無為な人生を送ってきたから。

 毎日に意味を持って、思い入れを「更新」して、人や物に関わらず時と共に出会いを重ねていけば自然とガラクタになったであろうモノ達。
 そのことに気がついて、引っ越しをした後に何度かたくさんのものを捨てた。

捨てた、つもりだったけれど、多分まだまだあるだろう。この1年、特にこの半年は感情面でほとんど何も感じられずに生きてきた。

春の陽気のせいか、始まりの季節だからか、停滞していた心がちょっと動きだしてこうやってノートを書いている。

 願うなら、もっとたくさんの物を捨てたい。自分自身の毎日を更新していきたいから。「過去の持ち物」がガラクタに思えるくらい、今を意味のある物にしたいから。
 

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