比較って難しい
大学で、比較文化論を習った。
また、書評なども習った。
それ以前は、比較や評価というものが苦手だった。
人の文化や作品に好き勝手物を言う気になれなかった。
そんなこと言うなよとも思っていた。
だが、比較とは奥が深いし、批評も必要だ。
これについては、より深く別の機会に書こうと思う。
今回は、何か自分の好きなものを語るときに、他のものの評価を落とす行為について考えてみたい。
以前、映画館で舞台挨拶が行われた。有名俳優が監督を務める作品で、本人が上映前に舞台上で挨拶、そして上映後に待っているので声かけてくださいとのことだった。
その作品は非常に面白かった。
この作品についても、別で書きたい。
観た作品を、すぐに監督と話せる。
滅多にないチャンスであり、列に並びながら、何を言おうか考えていた。
言いたかったことは、ホラーが苦手な僕でも、前のめりで観ることができた。それは、嫌な部分を見せない配慮があったからだと思う。まるで、〇〇監督の△△のような見応えがあった。しかも、××のように安っぽいホラーになってしまってもおかしくないのに、最初から最後まで美しかった。
みたいなことだ。
ありがちな感想だが、そこに立っているのは、先頭に立ってこの映画を作った人である。
その人に、他の作品の悪口を言うのはいかがなものか。
本人が近づくにつれて、そのように思い始めた。
これじゃダメだと思っていると、遂に自分の番が来た。
ホラーが苦手な僕でも、前のめりで観ることができた。とても面白かった。
これしか伝えられなかった。
しかし、監督はものすごく喜んでくれた。パンフレットにサインとツーショット写真も撮っていただき、素敵な日になった。
比較は素敵である。
シェイクスピアのソネットでも、好意をよせる相手に対し、夏の日と比べて、それよりも素敵であることを伝えている。
しかし、誰かが誇り持って作り上げたものや、そのファンに対して、あまりにも配慮が足りない比較は避けたい。
比較や評価をする際、気をつけていきたい点だ。
書く仕事ください。
shiroinekotarou@gmail.com
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