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なにか間違いを犯した人間を、考えなしに「許さない」と糾弾する危うさ

 最近、なにか間違いを犯した人に対してその間違いの大小に関わらず「間違いを犯した人間は許されるべきでない。再起の機会など、与えてはならない」と匿名のもとにまくし立てる人が多いように感じます。年齢とか性別とか関係なく。

 まあ、気持ちはわからなくもないんですけど。
 でもね、その論理は、自分で自分の首を絞めてしまうかもしれない。そんな危険さを孕んでいると、私は思うのです…。


 だって、「他者の間違いを許さない」という立場に立つということは、同時に、「自らの間違いもまた、他者から許されない」ことを許容しなければ筋が通らないのですから。
 他の人が過ちを犯せば喜んで糾弾するのに、自分が過ちを犯した時、批判されることに怒り狂う。それはただのわがままです。

 つまり彼ら、ラジカルな「他者の間違いを許さない」勢力は、自分は絶対に過ちを犯さないという前提で動いているんですね。

 これってとても危険なことなんじゃないかと思います。過剰な自信と、自尊心ってやつです。全能感に近いかもしれません。


 閑話休題。
 以上のような、不寛容で背後から刺されることを厭わないような人たちのギラギラとした目つきが、私はどうしても苦手なのです。だから私は、そっと、他人の悪いところ探しに忙しい俗世からの逃避行へと赴くのです…。

 行き着いた先が、文筆と音楽。


 


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