捨てられなかった普通

生き辛いものでこの生き辛さに名前が欲しくなる。愛着障害?躁鬱?発達障害?パーソナリティ障害?さぁどれだい、どれだい?
でも名前がつくとなんか嫌という謎の思考回路。心の何処かでは分類されるのが嫌いなんだろう。
ぴったりとした、腑に落ちるものがないから納得できないのかもしれない。
発達障害がベースにあるらしいが、結局はグレーもグレーの範囲だ。
中々納得できないものだね。
一番疲れてたのは中学生の頃だった。毎日はよ死なへんかな、と思って登校してた。
毎日朝起きるのも、学校にいって30人近い人と生活するのも、板書するのも、人と話すのも苦痛で苦痛で仕方なかった。
体力ゲージが生きてるだけでマイナスをカンストするような体感だったなぁ。
自分の青春時代を例えるならゾンビだね。
ゾンビのように生きるなんてバカらしいことだったよ。
今になって思う。
私の人生も時間も私のもの。
大衆や世間に無理してついていって、上手くいってるフリなんてやる必要ない。
学びも成長も本人のペースでやらなきゃ意味ないなぁって実感したよ。
今は学ぶのが楽しい。
仕事だって楽しい。
私のペースで目的もあってできる。
あと10年早く自分の力で生きていく事ができてたらなぁ。
合わないことするのも、合わない人といるのもバカらしい事だったよ。
無理に無理を重ねても得られるものより、失うものの方が大きかった。

人生は短くて、時間は私のものだったんだから。
無理をして無駄にするなんて勿体ない。
どうせ無理するなら、等身大の自分で無理する方がよっぽど良かった。
普通になりたくて、普通に思われたくてそれだけのために努力や時間を使ってしまってた。
バカだなぁと思う。
もう少し早く気づけたら良かったんだけどね。時間がかかってしまったよ。
アホだからね。
これからは後悔はするかもしれないけど、誰かのせいにしたくなるような生き方だけはしたくないな。
失敗しても私が私のために選んだ事がたまたま上手くいかなかっただけだって思えるように生きたいな。



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