不平等、不公平

最近親ガチャとか、学歴が、片親がってーっていうのをsnsで見かける。
私、これに対する自分の中の意見が中々固まらなかったんだけど、最近思うようになってきたのは社会は不平等なものなんだと思うのね。
どこに生まれる、いつの時代に生まれる。どんな遺伝子、どの性別、どんな性格で生まれるか。
病弱より健康がいいし、貧乏より金持ちがいい、戦時中に生まれるよりは現代に産まれる方がいい。頭が悪いよりは良い方がいい。容姿は崩れているより整っている方がいい。どこにだって優劣は存在して、自分が割を食う事は往々にしてある。
選んだわけでもないものを突きつけられるそういう過酷さがある。
それが悲しいかな、人生だなぁって思う。
虐待する親の元に生まれた人、見た目でいじめられた人、貧乏で苦労した人、難病で苦しむ人。
虐待した親は時間を戻してその時をやり直してくれる訳じゃない。
いじめられた人は傷ついた心が傷つく前に戻る事もない。
さらに言えば、その経験が必ずしも報われる、何かに必ず結びつくというものでもない。経験して良かったなんて事はないんだと思う。
虐待で育つより、虐待のない環境で育つ方が良いし、いじめは無い方がいい。
傷ついても、劣っている部分があってもそれでも人生は流れていく。
過去や環境を怒り、恨みを抱きながらも折り合いをつけて、自分の人生と向き合って出来ることをやっていく。
そうやって生きるという事を続けた先に自分なりの納得感や安心感、過去や環境、それらを背負った自分を許す事が待っているのだと思う。
許すにもグラデーションはあって、劇的なものでもないかもしれないし、考えなくなった、過去のものとしてしまわれていくという事かもしれない。
辛かった事、許せなかった事が人生の一部であり通過点として馴染んでいくのだと思う。
不意に傷つけられたりする、選んでいないのに優劣が存在する。
そしてそれを癒していくのは大体が傷つけた元凶ではなく自分や時間や、自分とが関わる人達によって癒されていく。

そんな残酷な一面をもつものが社会であり、私が生きる世界だと。
傷つけられても自分や時間、出会う人達によって癒す事もできる、救われる一面があるのもまた私が生きる世界なのだと。
最近私はそんなふうに思うのだ。






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