甘える事の意味

甘えるという行動と甘えたいという感情。

私と共にあったものだけど、どこか距離があって付き合いが難しいものだった。
甘えるとはどう表現すればよいのか。
甘えたいという感情とどう向き合えばいいのか。
私は甘える表現を多くは知らない。
不安だった時弱音を吐かず。
体の痛みはいつも我慢していた。
相談することも少なく。
私の両親は受けとってはくれなかった。
不安を言っても慰めてはもらえない。
痛みを訴えても怒られる。
相談しても取り合ってもらえない。
怒りを表現しても倍の力で怒られるだけ。
だけどハグだけはしてもらえた。
私にとって相談したい時も、不安な時も、痛い時も、葛藤や憤りを感じている時も、それらを解消するために表現されることはなく、私はかなり大人になっても母親にハグすることをやめられなかった。
私にとっての甘え方はそれだけ。
でもそう、甘えの表現はそれだけじゃないと最近気づいた。

怒ったり、泣いたり、不安を口にする事も甘えられる相手だから言える。
傷つける事は悪い事だけれど、それが言えるのも甘えなわけで。
自分のダメな所を見せる事も甘えの表現だと思う。
私はそれらを出さないで、幼児期に許されてた1種類の甘え方だけで乗り切ろうとしていたんだなぁと気づいた。
実際諦めていた部分も多かった。
母親からは慰めを期待できないし、正直人に寄り添えるタイプではない事もわかっていた。
頭もお世辞にも良いとは言えず、相談したところで具体的な何かが帰ってくるタイプではない。
どうせ他のもので安心を貰えないんだから、一瞬の安心だけでも貰えるもんなら貰っておきたい。
そう言う諦めもあったんだと思う。

でも母親のせいだけではなく、閉鎖的な心でいつも人と接し、人と関わる事を減らして物理的にも閉鎖的な暮らしをしてきた私の落ち度もやっぱりあるのよ。
人に揉まれてる内にうっかり更生させられてる事もあるのだから。

時々、虐待されてたわけでもあるまいに、こんなに引きずる人間がいるのだろうかと思う。
まだ人と関わっていた頃は、いつも全力で人の顔色を窺っていた。
甘えるチャンスを窺っていたのかもしれない。だけどその一歩はどうしても踏めなかった。甘えて拒絶されたら、きっと私は死ぬ事を選ぶんじゃないかという予感があって恐ろしかった。
寂しさも、不安も、辛さも、ネガティブな自分を許されないならば、それは私は存在してはいけないと言うことと同義だと感じていたから。
私はこれから別の方法で甘えられるように訓練していかなきゃいけないんだなと強く確認できた。
ふと性依存症なんかも、もしかしたら同じ習性なのかもしれないとも思う。
気づいた事をじんわり心で感じながら、また明日も生きてこか。
















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