愛着障害っぽい何かとそこからの回復

正直自分の状態がなんだったのかよくわからない。母親とやり直して人生をやり直して、子供の頃に欲しかったものをある程度もらって、誤解を解いて。
過去の事はあまり頭をよぎらなくなった。満足したんだろうかね。
過去より現在と未来にシフトするようになった。そうなった時に思ったのは、物凄く追い求めていたものだと思ってた母親の愛情。それさえ貰えれば過去も現在も未来も一気に切り開けるような、苦しめてある全てがパッとなくなるようなものを想像してた。いざ得てみて感じたものは違った。
過去の私は救われた。でも現在の私の問題は変わらないんだなぁって事。母親の愛情さえあれば、あの心残りさえ無くなればいろんな事が解決されるような気がしてた。でも実際はそんな事なかった。そこでまた苦しんだ。ああ、なんもないのかって。私は何のためにこんなに母を待ってしまったのだろう。
現在を見れば何の力も実績もない自分がいて、過去を見れば愛情を求めて傷ついた自分があの日から立ち上がれずにいて、未来には何もない自分の延長にいるどうしようもない絶望的なものしか描けなかった。
過去の自分が満たされ、現在に視点が移ってくると、自分の人生を生きられなかった自信のない自分の姿が突きつけられた。満たされたものはある。だけどいつまでも母の側で赤ちゃんのように生きてるわけにはいかない。私は1人の人間として生きていかなければならない。その現実に直面した時に苦しくなった。時間は戻らない。もっと真剣に生きていれば、もっと自分の為に生きていれば、人に迷惑をかける事ばかり気にしないで自分のやりたい事をガンガンやっていれば今の私はもっと自信が持てたのだろうか。年齢の割に何も積めなかった自分が辛くて辛くて泣いた。もっと自由に生きてよかったなら、もっと沢山やりたい事があった。自分の気持ちを優先していいのなら、自分として勝負して良かったならもっと沢山の事を経験したかった。私として生き、その結果を見たかった。過去の私は救われたのに、今の私は救われない。ただ失われた時間を、自分が捨ててしまったものの大きさを噛み締めた。最初は途方に暮れた。失った時間や、今の現実の為に一から積み上げるだけの勇気も気力も持てなかった。結果的には何もない自分が出来上がったが、楽をして生まれた私じゃない。毎日苦しんだ。生きる事が辛かったのに、何も残らなかった自分を認めるのが辛かった。
それでも人間は何もしない事はできないもので、自分にできる事をやり始めた。苦しくて葛藤も沢山あるけれど、少しでも前に進もうと思った。福祉や医療の力をかりて、沢山の人のサポートを受けて、弱音を吐いて、相談して、泣きながらでも出来ることを少しずつ増やしていった。初めて解離した時は拘束されて隔離された。退院してからは歩けずに這い這いする所から始まった。母親は解離してブチ切れたり、泣き喚く私を見捨てなかった。私の最底辺は本当に最底辺だった。思えば過去から脱却するにも出来ることを積み重ねていった。現在も出来る事を積み重ね、ダウンした時は悔しくても休んだ。過去をあまり気にしなくなった今、私の出来ることはずっと多くなったし、自信もついた。偏りがあり、発達障害気味ではあるが、それでも得意な所は人よりできた。私は自分が思うほど無力ではないと知る事ができた。積み上げる事も何十年かかるわけではなくて、数年でさえ人は成長する事ができるのだと。まがりなりに生きた数十年にも積み上がったものがあったんだ。まだまだ落とし込めない部分もあるが、それでも前の自分よりずっと自分らしく過ごし、人とも自分らしく接する事ができている。ワーキングメモリが低くて、過敏があるから沢山の事を一度に覚える事はできない。だけどしっかり理解して覚えれば仕事はできる。長期記憶はそんなに悪くないから覚えた事はあまり忘れない。
私は超人ではないけれど、無力でもない。その実感が安定を与えてくれたように思う。苦しくても出来る事を少しずつやっていく。その地道な作業がここまで運んでくれた。入院してから7年かかった。物凄く長い道のりで、長いからこそ簡単に崩れないものを築く事ができたのだと思う。一歩ずつ着実に進んでいく事の大切さを私に教えてくれた。
解離して病院で過ごしたあの日を一生忘れないだろう。7年間積み上げてきた日々や思いを忘れないだろう。与えて貰ったものを忘れないだろう。賞状も資格にもならないけれど私にとっては自分の足で歩いてきた実績で、苦しくても必死で生きた証で、誇らしいものになった。人生の分岐点は?と聞かれたら私は7年前のあの日だよっていうんだろう。
最近大きな人生での波が来てしまった。それでも過去より現在に生きてる今は、苦しいけれど現実的に対処できてると思う。前の自分ならそれどころではなかっただろう。その変わり様が自分の力強さを感じられて嬉しく思う。きっとこの出来事もあまり無理なく乗り換えられれば、また私の成長や回復の一端になってくれるかもしれない。母の愛は人生が開けるようなものではなかったが、母を恨みながら貰えなかったものを名残惜しく眺めてどこか後ろ髪引かれる思いで生きる事はなくなった。そんな人生を潰してくれた事に感謝している。母を恨まず生きていける事にも感謝している。やっと自分の人生を生きていける。

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