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”学校もサボれないやつは何もできない”という父の教え

わたしが小学生の頃

「今年もちゃんと風邪をひけた」

そう嬉しそうに布団に入り、仕事を休む父の姿があった

”普段からけっこう休んでるじゃん”

わたしはそんなことを思いながら所謂大企業勤めだった父を羨ましく思っていた

「年休をきちんと消化しないと怒られるんだ。あとこんなに休みをとらないといけない。大変だ」

犬小屋作りや芝刈り、カブトムシにヤクルトを買うために有休を当てる父

今のあたしの仕事から考えると考えられないが、その当時ですら

”ちゃんと仕事しているんだろうか”と小学生ながらに思ったものだった

わたしが父のギョウギョウしい肩書きを知ったのは社会人になってからだった

サボってる父の姿しか印象に残っていないのはなかなか残念な話だが、後から聞けば

”家庭では仕事の話をしない”

という父のモットーを聞き”なるほど”と納得した


そしてわたしはそんな父から、小学生の時に1つのミッションを与えられた

「いいか。1年に一度は必ず学校を休め」

体調不良や法事ではなく

自分の意思で休みたい日を選択して学校をサボれという謎のミッションを娘に与える父

その真意を知る由もなく

私は毎年その課題を確実にクリアしていった

「今日は寒いから学校休むのにもちょうどいいんじゃないか?」

そんなオススメを受ける日もあった

学校が大好きだった私にとっては至難の課題であったが

”今年もやらねばいけない”

そんなプレッシャーすら感じながらも反抗心をもつことは全くなかった

それは小学生のときにはそう難しくなかった

しかし、中学生に上がると難易度は急激に上がった

明らかに校則が厳しくなり、親の保護が大部分外れて学校の監視下に置かれる

日本社会の厳しさに触れる第一歩だ

「ちょっと気分が悪くて・・・頭が痛くて・・・」

そんな言葉を鵜呑みにはしてもらえない

そもそも授業についていけなくなる、部活を休むわけにはいかない

そんなところもあり父から与えられるミッションは

「1年に1回は学校を早退しろ」に変わった

それも着実にこなしていき、時には年に3度課題をクリアすることすらできるようになった

たまには学校の先生から抜き打ちで母に電話がいくこともあった

「具合が悪くて病院に行かれた結果はどうだったしょうか?」

そんな確認電話も、母は慣れっこだった

「わざわざ先生すみません。わたしも今看病にあたっていてまだ熱はひかないようですが、明日には学校に行けるようにしますので」

そんな感じで口裏を合わせてくれた

「あんた今日学校サボってたね。ふふっ」

理由なんてもちろん聞かない

父の謎ミッションは母も暗黙の合意の元だった

「社会に出て必要なスキルは真面目に通勤することでもない、柔軟に対応する力だ。時には仕事を成り立たせるためにはサボる力も必要になる。真面目なだけで勤めることができる仕事なんて世界中探してもない」


この謎ミッションに通じるソウルはおそらく父のこの言葉だったのではないだろうか

直接確かめることはもうできないが

自分が社会人になってから

”この教えに敵うものはない”

そう痛感している

今こんな時代にこそ、より相応しい教えのようにも感じる

生きていくためには、仕事をし続けるためには時にはサボる勇気も必要だ






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