見出し画像

美しく生きるってなんだろう#15

一日をだら〜っと過ごしながらも頭ではいろいろなことを考える。

きっと、こうしている間にもあの人はバリバリ仕事をしているのだろう。
あれもやってこれもやって、そしたら充実したな〜って思うんだろうな。
あぁ、こんな生活をしていたらそりゃ好きな人にも振り向いてもらえないだろう。

とかとか。

もちろんそう思うのは、こうしたいという理想の姿というか憧れの姿、生活があるのだろう。それは「したい」なのか「しなければ」なのかはわからないのだけど。

別にどっちでも良いんだよ、そんなことはと。したいように生きるし、すでにしたいように生きているのだから。

などと、身体はベッドの上でゴロゴロしながら頭だけで考える。

そんな時にふと出てきた言葉。

「美しくない」

時間もあったので、思わずこうやって文字を書き始めたのである。

自分にとっての美しいって何だろうか。


「美しい」という言葉を聞いてパッと浮かぶのは洗練さだ。芸術でもスポーツでも生き方でもなんでも美しいと思うのは、そこに洗練さを感じるからなきがしている。

洗練さというのは無駄のなさだ。たとえ無駄があったとしてもその無駄さえもが洗練さを際立てているものの一部になっている。うまく言葉にできないけど、そんな感じ。

そういえば美しいものに触れた時って思わず涙が出そうになったり、訳もわからない浮遊感を感じたりする。心地よくもあり、何処か心地悪いあの感覚。


改めて思う。こうやって自分に関することを自分で言葉にしてこなかった人生だったなと。だから、人を必要としていたのだと思う。誰かの言葉を借りれば、こうした問いにも答えが見つかるからだ。それがこれまでの生き方であり生存戦略だったのだろう。

でも、もうそれもおしまいだ。人の言葉を頼りにしながらも、自分の言葉に変換していく。それが、持論化なのだろう。

振り返りというのは、まさに自分で自分のこれまでを承認する、受容する、ある種のご自愛なのかもしれないな。

2021.10.17.18:22

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?