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「自分を愛する」と「自分を甘やかす」を混同していたかもしれない#72

先ほど、コーチ・エィアカデミアを通して出会った方々とお話しする機会があった。たったの1時間ではあったが非常に濃い時間であったため、今浮かんでくることを残しておきたい。

テーマとしては、コーチングを学び始めたきっかけやコーチとしての目標だった。自分は「色々たくさんとっ散らかりながら学んできたけれども、自分にとってのコーチングとは何かを考えたい」と話していた。

コーチングという幻想に魅了された自分は、実はコーチングそのものを言語化する機会はこれまでなかったように思う。

さらに言えば、コーチングに限らず、色々な物事に関して、思考不足や内省不足を感じる機会がここ最近多かった。一旦、自分の中で咀嚼し、解釈し直し、深めるフェーズがきたのだろう。

ここ最近何をしていたかというと、”とにかく突っ走ること”と”自分を愛すること”だ。後者に関しては、居心地が悪い実践だったように思う。そもそも自分を愛することが何かわからなかったからだ。

まだしっくりとくる言葉になっていないものの、自分を愛するとはどんな自分ともともにいることなのだと捉えられるようになった。愛は受容だと思っている。フロム曰く「愛は与えること」であるが、それにならえば、自分に存在の許可を与えていたのだろう。

ただ、最近は”自分を愛する”が”自分を甘やかす”に変化していたのだ。愛すると甘やかすは似て非なるものだ。愛は成長を前提に含むが、甘やかすは成長を前提に含まない。ただのその場しのぎだ。もちろん、必要な時もある。ただ、その必要な甘やかしというのは愛と言い換えられるだろう。

ここ最近は随分と「愛」にアンテナが立っているが、その背景には愛への飢えがあるように思う。

愛されたいなら愛しましょう。

そんな言葉で奮い立たせているかのような。

これは執着なのだろうか。

2021.12.17.23:30




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