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不登校を乗り越えて7 不登校の子供の支え


これは、息子と娘が不登校になった頃の記録です。

ご興味を持っていただけましたら、不登校を乗り越えて1~今悩んでる人へ~からお読みください!(^^)!

不登校を乗りこえて1~今悩んでる方へ~|Sunny♡|note

不登校を支えたもの

不登校の子供の1日は長い。今日は、息子を支えたものを振り返ってみようと思う。

息子は、音楽が好きだ。いつもドライブに出かけるときはいい曲をかけてくれる。私も元々は音楽が大好きだったが、お母さん業になってからは音楽の事はよくわからなくなっていた。だから息子がかけてくれる曲の中でお気に入りを見つけることができて嬉しい時間だった。Aimerの「カタオモイ」「コイワズライ」、YOASOBIの「あの夢をなぞって」「ツバメ」などは子供が教えてくれた歌だ。私には、なんだかよくわからない曲もたくさんかけていたが、ボーカロイドの事を質問すると嬉しそうに説明してくれた。

次は漫画。とにかくお小遣いは漫画につぎ込んでいた。いろんなジャンルの漫画を読んでいたが、お気に入りは藤本タツキさんのチェンソーマンだそうだ。度々私に持ってきて、「これ読んで」と差し出してくれた。私も出来る限り寄り添いたいと思い漫画を読んでみた。

チェンソーマンは、私には刺激が強くて気持ちが休まらなかった。(泣) だんだん好きになったキャラクターが死んでしまうと分かった時、キャーもうダメだ読めない〜となってしまった。でも、最後はきっと感動するのだろう。もう少しパワーが溜まったら挑戦してみよう!!

それと、Amazonプライムの映画やアニメはよく観ていたようだ。fireタブレットを買い与えていたので履歴を見た時にかなりの数の映画を見ていたようだった。

ある日、息子が散歩の帰りにメダカを2匹飼ってきた。しばらく世話に忙しくしていた。これもよかった。「卵をつけた!」「餌あげるとき懐いてよってくる!」とよく話してくれた。メダカは増えたが、今はブームが終わったのか、私が世話をしている。(笑)

あとはたまに呼び出してくれる友達の存在。おかげで息子は完全孤独にはならなかったと思う。しばらく離れていた友達とも再び繋がるようになっていき、彼らにはとても感謝している。

一方娘はゲームすることや、イラストを描くことが好きなようだ。それにあまり物は欲しがらなかった。

公園が好きなので学区から離れた駅前のお気に入りの公園へよく行った。学校から帰宅してからも、不登校中もよく行った。近くのコンビニでおやつを買って、ブランコに乗りながらおしゃべりをした。

娘はいろんな事を話してくれたので、気持ちがわかって安心した。

今日はこんな事が学校で辛かったとか、今日は夜友達とでオンラインでゲームするんだとか、友達とこんな話をしたとか話しが尽きない。

大喧嘩

息子と大喧嘩したこともあった。不登校の子供は感情をぶつける相手がいない。我慢もあるだろう。ちょっとしたきっかけでボタンの掛け違いのような喧嘩してしまった事も何度かある。

大きな気持ちで受け止めたい所だが、不登校の子供の親もすごいストレスをかかえて日々我慢もしている。お互い鏡のように向き合ってしまうともう大変になる。やり場のない悲しみと怒りで何度か私も家を出た。

でも、帰ると「お帰り」と言ってくれたので、私も「ただいま」と後に引かないようにした。私と同じように、きっといろんな事を思った事だろう。

私自身は、気持ちが焦ったまま、働きにも出れていない事を責めていた。その時本屋さんで見かけた本の一節に、「たくさんの人を照らす光になれなくていい。目の前の一軍を照らす光になれればそれでいい」というような文章を読んで、そうか今は、この子達だけを照らす光になればいいのかと前向きになれた。

私が、不登校になったこの子達にしてあげられた事をあげるなら、寄り添ってあげた事、ある程度放っておいてたっぷり寝かせてあげて、食べさせてあげた事ぐらいだ。それと、本人たちが興味を持った事には出来るだけ協力した。

実際親はそんなにすごい事はしてあげられない。

学校へ行ってないからといって罰を与えたり、スマートフォンやゲームをとりあげるようなことはしなった。もちろんやりすぎはいけないし注意はするが、追い詰めたりすることはしないように心がけた。取り上げたり禁止することは本人からやることを奪うようで意味がないと思った。

ある方面から見たら甘やかしているかのように映るかもしれない。その案配が難しいのだが、私は息子を出産した時に手に取った本で、甘えさせると甘やかすは違うということを読んだことがある。調べてみた。

甘えと甘やかしには違いがある。 甘えは、子どもが自立に向かうための愛着関係だ。子どもは、自分のことをしっかり、いっぱい受け止めてもらえると、自分に自信がついていく。 それが、いろいろなことをやろうという気持ちにつながる。 一方、甘やかしは、子どもの自立を阻むものだ。例えば、過干渉や、先回りをして金銭的、物理的に与える事

だそうだ。

もちろんどちらにしても加減は難しい所だが、私は今子供には、どちらもしてあげたいと思ったから自分の出来る限りはよく考えて与えた。

幼い頃は抱きしめたり、言葉で伝え合う事ができるけど、成長すればするほどに抱きしめて愛情を伝えていく事は難しくなる。気持ちに寄り添ってあげる点で見れば甘えさせてあげると甘やかすっていうのは行ったり来たりしてもいいと思う。

子育てに正解と不正解はない。だからこそ、今してる事が正しいかわからなくなる時もある。でも、その子供の状態毎日を見ている人はきっとわかると思うのだ。その子に何が必要で必要でないかを。

私が見つけた答えは、子供の気持ちに出来る限り寄り添ってあげることだ。必要か必要でないかを考えてる様子もちゃんと見せること。できない時はそれはできないとちゃんとした理由も伝える事だ。気持ちの行き違いが生じて、喧嘩してしまう事もある。親は完璧じゃない。間違ってしまってもまた寄り添ってあげる。たまの喧嘩は大切な工程だと思う。でも言い過ぎない、追い詰めない。

不登校の子供はどこかで自分を責めてる場合もある。親に対して申し訳ないと感じている子もいると思う。その親が子供を責めるというのは、本人の居場所も逃げ場もなくすような気がして出来なかった。きっと本人も学校に行きたかったが、事情があり行くことができなくなったのだから。

その点ではすごく気を使ったように思う。

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