No45 他者への配慮

この週末は連続して友達と長電話をしていた。話したいって思える友達がいるって豊かだなと思いながら、友たちと話したことを思い出している。
また電話だけではなく、実際に久しぶりの人と会う週末でも会ったので、沢山の会話を交わし、自分を振り返る時間にもなった。
人はそれぞれ自分のモノサシを持っているけど、生きてきた環境の中で、トラブルを防ぐために、自分の意志に柔軟性を持たせるようになる。生きていく術として。例え信頼関係を築けたとしても、信頼を築くのには時間がかかるけど、壊れる時は一瞬だということも理解しているから、信頼関係を継続するために、自分なりの配慮をするのだと思う。
気を使わないで良い関係というのは、全く気を使わない訳ではなく、気を使うラインが下がっただけでゼロになったわけではないということだと解釈している。「弁える」という言葉があるけど、親や旦那や子どもという近い立場だから何をしても良いわけではなく、自分の置かれている立場を弁えることはとても大切だと思っている。その気持ちがあるからではないかもしれないけど、私が家族とトラブルにならないのは、それが大きいのではないかと自分なりに思っている。境界線はとても大切にしているつもりだ。
私の親も年老いてきた。元気にしているけど、年々衰えを感じている。すぐに会える場所に住んでいるが、頻繁に会いに行くことはしない。特に冬場はあまり行かないようにしているし、行っても泊まらないし、長居もしない。
お年寄りと関わる仕事も長年してきたので、生活リズムが崩れることで体調不良を引き起こす(風邪をひくなど)ことも沢山見てきた。いつもと違うということは例え嬉しいことでも負担になるものだ。だから、親たちの普段の生活が変わらないように心掛けている。
これは私なりの配慮に過ぎないけど、人と関わる上での配慮というのは、みんな自分なりの美学があるのではないかと思う。
海外に暮らしたことがないので、この配慮というものが日本の文化なのか、人類として備わっているものなのか分からないけど、他者と関わる以上は必要不可欠なスキルなのではないかと個人的には感じているところだ。

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