ビブリオエッセイ「コンプレックスも開き直れば武器になる」
小さい頃、私は「変わった子」と言われて育った。自分では当たり前のことをしているつもりなのに、なぜか他の人と発想や行動がずれてしまう。理由が分からなかった。逆に、周りの考え方は私にとって予想の斜め上。驚かされてばかりいた。
例えば、小学生の私は議論好きだった。相手をたたきのめしたいとか説得したいとかではない。ただ「本当のこと」が知りたかった。自分と全く違う考え方に出会うと、根掘り葉掘り聞きたがる。口癖は「なぜ?」「どうして?」。
ディスカッション(discussion)は、お互いの意見をつき合わせてテーマへの理解を深めるものだという。より優れた考え方に昇華できればもっといい。相手を理解したい、あるいは疑問を解決したい、という欲求が議論好きとして表れたのだと思う。何しろ、私にとって周囲の言動は謎だらけだったので。
けれど、そういう態度は煙たがられる。下手をすると人格攻撃だと思われる。親や先生、友達が、困惑したり怒り出したりするのを見て、私は口をつぐむようになった。だからといって性格が一変するわけもなく、頭は疑問符でいっぱいだった。
「なぜ、皆がやってるというだけで、その意見が正しいことにされるの?」
「問題解決したいなら、なぜ直接話し合わないの??」
などなど。
見方や考え方が違うと、どうしても反応にずれが出る。周りに合わせようとしても、人に化けたタヌキの尾がぴょこんと出ているような感じ。思ったことを何気なく言葉にすると、周りがぎょっとして固まる。私もびっくりして固まる。
一人くらい面白がってくれる人がいたら違ったのかもしれない。あまり否定的な反応を繰り返されると、なんだか自分が間違っている気がしてくる。しだいに私は、自分がおかしいのではないか、どうして周囲と上手くいかないのかと悩むようになった。
そんなとき、「今の自分が持っているものを生かす」という視点を、いわゆる性格のタイプ論から教わった。さまざまな分類方法があるものの、人の性質には基本的に優劣をつけない。少数派はいるし、周囲に馴染みにくいタイプもあるが、それも住む社会によって変わる。
私は自分が少数派で「たまたま」周囲と違う性格だと知った(※)。周囲の常識と違う発想をするからといって、おかしいわけではないと。「自分以外にも似たような性格の人がいるのか!」と、だいぶ気が楽になった。
いわば、トマト畑に紛れ込んだジャガイモ。そこで赤くてつやつやしたトマトになろうとすると、ジャガイモは苦しみ続ける。フライドポテトになるか肉じゃがになるか悩んだ方が生産的だ。
議論好きという点でいえば、私は好奇心旺盛な思考タイプなのだと思う。「男は論理、女は感情の生き物」というように、女性の思考タイプは典型的な女性像と異なる。それで悩む人も多いだろう。
ただ、性格の違いだと分かれば自分に合う環境を探せるし、強みで弱みをカバーできることもある。思考タイプは共感が苦手といわれるが、相手の表情や行動、状況から推測はできる。経験を積み、化け方もそれなりにうまくなった。
人にショックを受けるような言葉を投げられても、「なぜ相手はこんなことを言うのか」と考えれば冷静になりやすい。単なる八つ当たりであれば無駄に落ち込まずに済むし、自分に非があれば次に生かそうと前向きになれるので、私はメンタルが安定しているとよくいわれる。なぜか相談役にされることも多い。
トマトに難しいことがジャガイモには簡単、という部分もあるわけで、お互いに強みを生かし合える関係を作りたいと思う。
※最近はやっているという「16personalities」の診断では、INTJ(内向・直観・思考・判断タイプ)でした。16personalitiesの公式サイトによれば、日本人79,290人からのアンケート回答で、INTJ-T 1.91%、INTJ-A 1.79%(2024年現在)です。
参考:https://www.16personalities.com/country-profiles/japan
『新版 科学がつきとめた「運のいい人」』(中野信子、サンマーク出版)に寄せて
画像引用元:https://www.pexels.com/ja-jp/
#エッセイ #INTJ