リブリオエッセイ「天才とカナリア」
『世界をアップデートする方法 哲学・思想の学び方』(篠原 信著、 集英社インターナショナル)に寄せて
以前、E.クレッチュマーの「天才の心理学」(岩波文庫)を読んだことがある。たぶん、天才という華々しいイメージに惹かれて選んだのだと思う。
クレッチュマーは精神科医で、天才がどのような生物学的条件で生まれるのか、解明したかったらしい。天才と呼ばれる人々の体型や、性格を表すエピソード、病歴、家族の情報などを集めて傾向を調べた。
ルソーやディーゼル、ニーチェ、ゴッホなど、世代を超えて多くの人に創造性を認められた「天才」の人物伝でもあり、なかなか面白かった。
クレッチュマーは初めのうち、天才のことを「人間の優れた部分を特化させた人」だと考えていた。しかし調査後は「生活が困難になるほどの生物的弱さを持ちながら、それに抗うことで創造性を発揮した人」と結論付けている。
例えば、普通の人間にとって何でもないことでも、精神的に敏感すぎる人は傷付いてしまいやすい。そのため、まだ表面化していない世の中の問題やニーズをいち早く発見し、主張できるのだという。
なんとなく妹を思い出した。妹は神経質で、良くも悪くも違和感に敏感だ。鈍感な私が、そこまで気にしなくてもいいのでは、と思うようなことにもイラついて大騒ぎする。反面、妹の要求に従ったおかげで生活の質が向上した場合もある。
街を一緒に歩いていても「ここが使いにくい」「あれは許せない」と、ぶつぶつ言いだす。天才とはスケールが違うものの、妹にはプチ発明家の素質があるのでは、と内心思っている。
妹を見ていると、例は悪いが、弱さは炭鉱のカナリアみたいだと感じる。産業革命の時代、炭鉱夫たちは毒ガスに素早く気付くために、カナリアを坑道に連れて行った。カナリアは人間より体が小さく代謝が早いので、真っ先に毒ガスに反応する。それを見て人間も毒ガスに気付くというわけだ。
生活や社会において、毒性を我慢できる人は強く見える。ただ、我慢しすぎて増えていくダメージに気付かないと、致死量を超えてしまう危険もある。自分や周囲のカナリアを大事にすることが、生きやすい環境を作るコツなのかもしれない。
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