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ボイラー室で待ってて

入社した時から憧れつづけた先輩が退職した。
私が入社する前から、設備関連のメンテナンスをする部署にいて、辞めるまでずっとその部署一筋だった、職人気質のかっこいいひと。
機械油で汚れた作業服に、ごつごつした指。だいたいポッケに手を突っ込んで歩いてる。無駄なことは話さないからちょっと怖そうに見えるけど、話しかけたらめっちゃかわいい笑顔で答えてくれる、そんなひと。工場が移転して勤務地が別になってからは、本当にたまにしか見かけなくなってしまい、久しぶりに会うと、白髪が目立つようになっていたりする。それでも初めて見かけた時から、「この人なんかかっこいいなぁ」と直感で思ってた気持ちは、15年間、一度も裏切られることがないまま、ずっと私の憧れの存在で居続けた。

昨年、商品企画の仕事を降ろされた私は、販促企画の担当になり、新しい試みの一つとして、商品ではなく、会社のブランド価値を伝える媒体をつくることになった。
入社から15年、商品開発、研究開発、工場の品質保証と、多くの部署に関わってきた私にしかできないものを創ろうと思った。100年以上の歴史ある会社だ。ネタはいくらでもある。数々の部署を渡り歩いた私は販促や営業にずっといる人には知り得ないことを知っている。
会社自体の歴史はいろんなところで語られてきたけれど、その歴史を作って次の世代に伝えている「人」を紹介したい、そんな思いでああらしい小冊子を創刊した。

その小冊子の3冊目の企画会議で、私はようやくあこがれの先輩を紹介することにした。最初に持ってこなかったのも作戦だ。なるべく自然に、その人を紹介したかった。製造現場の駆動部を知り尽くす、要の存在として、お客様から一番遠いところをお客様に伝えたいと。誰にも反対されずに企画は通った。
取材を申し込むと、快く引き受けてくれた。普段あまり注目されないところに目を向けてくれてありがとう、若い子たちをぜひ出してあげて、と自分ではなく部下を前面に出すことを提案してくれた。

取材は、1月。本格的な撮影の準備のためにデザイナーとふたりでロケハンに行った時の事。工場の食堂で、30~40分ほど、仕事内容に関するインタビューをしたあと、彼らの【現場】をまわることになった。

外履きに履き替え、凍みるような寒さに耐えながら、ポケットに手を突っ込んで前を歩く先輩を見つめる。姿勢の悪さも様になるよなぁ。そんなことを考えながら工場の裏側に回った時、彼は言った。
「準備整えてくるし、寒いからここで待ってて」。

「ボイラー室」と書かれたその部屋は、外の冷気が嘘のように温かい配管室だった。「ボイラー室で待ってて」。これは紛れもなく、社会人になってから、(というより、もうこれまで生きてきた中で)異性に言われて一番キュンとしたワードになった。

先輩の最終出勤日、餞別を贈った。先輩とは勤務地が違う。だから同じように先輩を慕っていた同期の男の子が選別を贈るというので、私の分も一緒に渡してもらった。
律儀な先輩は、お昼休みに最後の電話をくれた。「気を使わせちゃって」と言う先輩に「ずっと憧れてた先輩がいなくなっちゃうのは淋しいですけど、新しいところでも頑張ってください」と、明るく言えた。

いろいろなタイミングが重なっての決断という。
取材中、先輩が育てた若手に「会社辞めたいって思ったことないの?」と訊いたら「一度もありません」と即答してくれたけど、先輩は「俺は毎日(辞めたいと)思ってるよ」と笑っていたっけ。けれど辞めるそぶりは全然なかったから、あの後数ヵ月の間に何かがあったんだろう。そして、そういうモチベーションの時に良いオファーがあった。それだけのこと。

もう二度と会えない大好きな人が、また一人増えた。いつでもそこにある、そう思ってたものが無くなることが多くなった。


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