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世界との向き合い方を探す〜中村文則著『カード師』感想文〜

占いを信じていない占い師であり、違法カジノでイカサマをするディーラーでもある主人公は、ある日「組織」からの指示で、資産家「佐藤」の顧問占い師となる。しかし、佐藤はかなりの危険人物だった…主人公は何とかして顧問占い師を降りようとするが、「組織」の不穏な動きも相まって、次第に抜け出すことのできない渦に巻き込まれていく…


というのが、作家・中村文則の最新作『カード師』の、ざっくりとしたあらすじだ。


しかしながら、この小説をストーリー重視で先の展開に期待しながら読み進めると、少し肩透かしを喰らうかもしれない。何故なら、『カード師』は謎解きや伏線の回収に主眼を置いた物語ではないからである。もちろん、手に汗握るハラハラした展開、先の読めない面白さなどはあるし、印象に残る場面なども存在する。

しかし、この小説の中で一番描きたかったことは、そのような物語の設定や派手さではなく、大きな抗うことのできない流れや社会の中で、個々がどのように生き抜くか?ということだと思う。


「占いを信じていない占い師」というと、顧客に詐欺を働く悪徳な商売人というイメージを持つかもしれないが、主人公はそのような像とは少し離れている。確かに、自身に占いの能力がないことを隠しているという意味で「騙して」はいるが、主人公は顧客が納得のいく人生を送れるように、その境遇を少しでも改善できるようにと努めている。「騙して」はいても相手を「侮って」はいないし、人として「見下して」もいない。そこに、この物語の本質がある。


全ての物事や人物に堅実に向き合いながら生きるというのは、時として非常に苦しい。そのような苦しみから逃れるために、主人公は人々の感情や人生を操る側、すなわち、カジノのディーラーという息継ぎの場所を見つけた。見えない何かに(それが神であるのか運命であるのか、はたまた別の何かであるかは分からないが)支配されているのではないかという不安感、先の見えない怖さ、そのような苦しみを、人は皆、程度の差こそあれ抱えながら生きている。主人公にとって、そのような苦痛からの超越を夢見れる場所が、ディーラーという立場だったのである。

イカサマが行われているとも思わず「真剣勝負」に挑んでいる人々を、「自分はこのような人達とは違う」と思い込むことで、主人公はどうにか正気を保とうとしていたのだろうと思う。しかしながら、俗世間に生きる以上、自分もその他大勢の無力な人間と変わりがないという現実からは逃れられない。だから主人公は、隠居することを人生の夢にした。



つまり、この『カード師』という小説は、「つまらない現実を塗り替える」手品師を夢見て破れ、「未来を予知する」占いに見切りをつけ、「人を支配する」カジノに精神の安定を見出そうとした主人公の、抵抗の書である。そして、主人公以外の主要な登場人物も、みな、それぞれの方法で社会や世界の不条理への抵抗を試みている。更にもっと言えば、その抵抗する者の中には、この『カード師』の作者も含まれる。つまり、この小説は、個々人の「世界との向き合い方」を描いた作品なのだ。


実際に作中には、占い狂の佐藤に対して、とある人物が「占いで知りたいというよりは、・・・抵抗している人間がいると何かに見せたいのでしょう?・・・納得していない人間もいるのだと。誰かが彼らのために怒り続けなければならないと。だからそうやって、世界の仕組に対峙しているのではないですか」と問いかけ(という形式の心情の言い当て)をするシーンがある。この『カード師』という小説が抱えるメッセージを、最も端的に表した場面だと思う。


だが、そのような主人公たちが試みる「世界との向き合い方」を探す行為というのは、「生きる希望を見出す」行為であるというよりも、人生における「絶望との向き合い方を探す」行為に近い。これまでいくら未来予知を試みてきても、先の悲劇を明確に言い当てた歴史を人類は持たない。努力した人間が報われるとは限らないし、人は生まれた環境に大きく左右され、不平等な中で競争を強いられる。だから作者は、この小説を「希望」ではなく「祈り」の書であると表現したのだろうと思う。無意味なのではと感じながらも人類がこれまで必死で続けてきた抵抗こそが、「祈り」であり、その「祈り」をやめないことに一縷の光を見出すことでしか、我々は前を向けないのである。



「収まりのいい物語は、実は残酷なんです」。先ほど述べたシーンの続きで、登場する言葉だ。分かりやすい言葉で、誰もが理解できる筋書きで説明のつく物語は、それが喜劇であれ悲劇であれ、とても残酷である。なぜなら、その物語の中で、間違いなく必死に抵抗し、それぞれが考え、行動し、もがいていたはずの人々の思いを、「美しく単純な」物語に塗り替えてしまうからだ。それは、人々の人生を、感情を踏みにじる行為に等しい。

「収まりよく」などならない物語を、割り切れない感情をひとつひとつ丁寧に拾い上げて、「ここにこんな人間がいる」、「ここで皆もがいてるんだ」と、小説という形で世間に提示することが、作者にとっての「世界への向き合い方」であり、「抵抗」なのだろうと思う。

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