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香川県讃岐は父の実家

お祭りには獅子舞と
手打ち讃岐うどんに
天ぷら料理がいつもご馳走だった。山の奥地である
ズームイン朝で紹介されていた。香川県から、見るように電話が来たが大阪千里でお好み焼き叔母が開店手伝いしていた、見ていない。
残念。

私の父の
田舎は香川県の山の奥地である
もう父が死に行ったり連絡は。
していない。土地は何ヘクタール
あるのかは分からないな。
広すぎる。父型のお婆ちゃんは
美人。でも可哀想。腰は
曲がったままでいた。
90歳位は生きていた。かな?
私の父の実家は貴族の家規則がきつく厳格なお爺ちゃんから逃げて父は高知県出身の母と結婚した
高知県のお婆ちゃんは毎日朝5時にはおき10里の市場に魚をかいつけ魚の行商していた。お爺ちゃんは戦死。写真をみた。裕福でないから、讃岐のお爺ちゃんは母と結婚するなら父は長男
財産放棄しろと言われ
父は放棄して結婚して
私や弟が生まれた。小さな時は
和解したのか5歳頃行った記憶がありあり浮かぶ。お祭りには
獅子舞が怖かった
お爺ちゃんは私達に厳しく
餅つき大会見たら駄目本当に
意地悪頑固ジジイであった。
そうして暫くして頑固ジジイは
死んだ。葬儀に行った
山の中にて木を組み燃やした
記憶がある。山の風習てある
今は無い。
小さな時は川の上のザクロを
腹いっぱい食べた。
すももに、ナツメに
松茸存分に食べた。
家は広くて茅葺きでも
本家もあり
仏壇はお寺のようであり
貴族の家と言うほどである
兄弟は12人お爺ちゃんは
しっかり教育して皆書道は達筆であった。素晴らしく字がうまい。
叔母や叔父さんたち。川は澄んた水。私は夏は泳いだ。
そして夏は蛇だらけ
何匹も車に引かれてぺっちゃんこ
それが一番嫌なこと。トイレは
ぼっとんといれ、紙は新聞紙
穴は真っ黒になるし
トイレに怖くてなかなかいけや
しない。
おばあちゃんは
どぶろく作りがうまかった
5歳から飲んでいた。
あんな美味しいお酒は
日本にはないだろう。
そして梅干しは最高今はあんな
梅干しはないだろう。
きゅうりもみ何をしても上手
野菜は自給自足である小学生
中学生はよく行った
すももはスーツケースに
全部入れた。本当にフルーツ
大好き。お酒だけ今はアレルギー
おばあちゃんがしんだときは海外に行っていた。
行かなんだ。でも母は
20万香典あげていた。
無理をしたと、おもう。
その話はしっかり聞いていた。
父が死んだら弟末っ子Tおじさんが
財産のもらう権利放棄の書類
持ってきた。嫌嫌要らないから
押しませんとおさなかった。
母の妹叔母がうまく手懐け
叔父を帰したのだ。
本当に山の土地は二束三文
未だにもらってない。
おじさんからは
名古屋で水害家が全壊のときに
たった20万振り込んできたのだ



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