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語らない背中

実は私は被爆2世だったりします。

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私は父が50を過ぎてからの子で、父は若かりし頃広島で被爆していたそうです。私の父方の祖父は満州鉄道で働いており、父含めた家族は満州に住んでいたそう。ですが、父は大学に通う為日本に帰国し東京の大学に通っていました。そんな中第2次世界対戦が始まったらしいです。19・20の父も召集され、戦地に向かったかはわかりませんが、8月6日は広島にいたとの事。

その日、市街地を回るよう言われた父は、夏の暑い中そんな事をするのは嫌だと、その役目を自分より下の人に押し付けたとの事。そして、押し付けられた人も暑い中歩き回りたくないと、近所で(たぶん駐屯地と思われる)自転車を探している内に原爆が投下され、二人とも市街地の中心に行くことなく、難を逃れたと聞きました。

この話を聞いた時、
「ああ、父がめんどくさがりで良かったな~」
と思いました。

結局父は78で癌を発症し他界したのですが、原爆から60年も過ぎてからの事、それ自体は原爆のせいではなかったのだと、当時自分は思いました。

ですが、父が他界した後叔母が言っていたのは、父は原爆の後背中の皮がべりっと向けて、半年から1年寝たきりになっていたと。
全くの無傷ではなかったようでした。

又そういえば
「原爆の影響で口内炎が出来やすいから、その薬なんだ」
と言って日々薬を飲んでおりました。
(ちなみに自分は健康体です。健康診断もひっかかった事が無い)

父は戦争について語りませんでした。
ですが毎年夏にテレビで戦争特集を見ていたり、書斎には沢山の戦争関連の本がありました。

叔母曰く、
「勉強する為に日本に帰国したのに、戦争に駆り出され、嘘の情報を信じて寝たきりのけがを負い、自分なりにあの戦争は何だったんだろうと思うところがあったんだろうね」
と。

父から聞いた戦争の話は原爆の直撃を免れた話と薬の話だけです。きっと父は思い出したくもない地獄を見たのだと思います。

今更、ちゃんと話を聞いておけば良かったとも思うのですが、きっと語らなかっただろうとも思います。思い出すことは追体験する事だから。

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特に今年は、オリンピックやコロナで戦争の事はあまり注意されていないように感じます。そんな中、身内に被爆者がいる自分にできるのは、せめてわずかばかりの情報をこうやって出す事位。

小さい頃一緒にお風呂に入った父の背中に火傷の後はありませんでした。
ですがその奥底には、戦争の傷跡が埋まっていました。

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