見出し画像

炎の出産日記 ~緊急帝王切開編~

※こちらは「妊娠高血圧症候群」になったあるひとりの妊婦の超個人的な分娩の記録であり、全ての人に症状や処置内容が当てはまるわけではありませんのでご了承下さい。ご了承いただけない方はこの記事の代わりにタスマニアデビルのWikipediaをご覧ください。

7月12日(月)緊急入院

妊娠38週。予定していた出産日が10日後に迫る中、担当の医師から突然こう告げられました。

先生「うーん。これは今日入院だね」
私「今日!?」

千鳥のノブとまったく同じ声色で返す私

今日、入院・・・自宅に放置された、パッキングが終わっていない中途半端な状態の入院用バッグが頭を過る。夫も仕事でいないし、色々と予定外のことになったと頭が混乱します。

このときの私は、ふくらはぎから足の指先にかけて通常時の約2倍ほどむくんでおり、普段履いているスニーカーは靴紐をすべて外さないと足が入らないほど、見たことないくらいパンッパンになっていました。さらに、尿に蛋白が混じる「尿蛋白」という症状も出始めており、ここに高血圧が加わると 「妊娠高血圧症候群」という病気の条件にピッタリと当てはまってしまう状況だったのです。

これを放っておくと、肝臓や腎臓に機能障害が生じたり、赤ちゃんが生まれる前に胎盤が剥がれてしまったり、出産時いきむときに脳の血管が切れて脳出血を起こしたりするらしい。こっっっっっっわ~~~~~~~

人知れずそんな危険な状況だったので、血圧だけは上がらないようにと黒酢を飲んだり醤油などの塩分を控えたりと細心の注意を払ってしばらく生きていたのですが、この日の測定で血圧の野郎が私の努力を越える底力を発揮してきたってワケ。あんたの勝ちだよ、血圧・・・

指示通りに一旦帰宅して慌てて荷物をまとめ、タクシーに乗って再び病院へ向かいました。

その日は採血をしてご飯を食べてファンシーなピンクの水玉模様のパジャマに着替えて早めに就寝。ここ数年風邪すら引いていないくらい健康だけが取り柄でやらせてもろてきた私は、「緊急入院」という未知の4文字に少しだけ浮かれていました。

ただ、浮かれていられるのはここまでであった―――

7月13日(火)今日産んじゃお

翌朝9:30。前日の血液検査の結果が出たので先生に呼び出される。

先生「よし、今日生んじゃいましょう」
私「今日!?」
先生「緊急帝王切開で」
私「緊急帝王切開!?」

千鳥のノブとまったく同じ声色で返す私(1日ぶり2度目)

妊娠発覚からこれまで、赤ちゃんも順調に育っているし、自分の体重の増え方も標準的だし、まったくと言っていいほど何かを指摘されたことはなく、医師からも「安産」のお墨付きをもらっていました。

そんで痛いのとか絶対無理だから当然のごとく計画無痛分娩を希望していて、毎日YouTubeで「初産婦の無痛分娩入院生活」とか「スルリと出る!安産体操」とか「散歩する柴犬」とかの動画ばかり見ていました。たとえおすすめに帝王切開関連の動画が表示されたとしても、当然ながら自分には無関係だと思って完全にスルーしていたのです。

そんな私が帝王切開?なに?どうやんの?そもそも帝王って誰?出身高校は?年収は?恋人はいる?

心の中が徐々にまとめサイトのようになっていく中、あれよあれよと手術の準備が進んでいきます。

病室の窓の外から、突然激しくパチパチという音が聞こえてきました。カーテンを開けてみると、信じられないくらい激しいゲリラ豪雨に見舞われています。

「ドゴァーーーン!!!ピッシャーーーーー!!!!!ドッカーーーーン!!!」

めちゃくちゃ近い場所に雷が落ちた。なんでこのタイミングなんだよ。これからの手術に対するなんらかのメタファー?

そっからはもう、目に映るすべてのものがなんらかのメタファーに見えて仕方なくなってしまいました。病室にあしらわれた花柄の壁紙も私の棺桶に入れられる花を暗示しているのかもしれないし、なぜか壁に掛かっているクリスチャン・ラッセンのクジラの絵とかも「クジラ=苦死裸(裸で苦しんで死ぬ)」という暗示かもしれない・・・

画像3

(苦死裸のメタファー)

不安で震えていると、病室に助産師さんがやってきました。

助産師さん「はい、じゃあそろそろ手術室行ってみましょう」

えっ、手術ってそんなYoutuberの企画みたいな軽いノリでやるやつだっけ

とにかく言われるがまま手術室という名のコンサートホールへ移動し、手術台という名のステージに上ります(いらない比喩表現を2回も使ってしまいすみません)

医師からの「背中丸めて絶対動かないで!」というとんでもないプレッシャー発言を受けながら、背中にチクリと麻酔の針を刺されました。次第に、足に向かって冷たいものが流れていくのがわかります。このあたりでやっと「あ、マジでこれから帝王切開するんだ」という実感が湧き始めます。

酸素ボンベ的なものを口にはめられ、指にはなんか脈拍を測るっぽいセンサーみたいなものをつけられ、ドラマの手術シーンでよく聞く「ピッピッピッ」という音が手術室に響き始めます。

そして、あっさりと下腹部にメスが入りました。

痛みは全くないのだけど、明らかに横に一直線、自分の体に何かしらの切り込みを入れられた感覚がある・・・・・・

助産師さん「はい、ここからちょっとおなかを引っ張る感じがするからね〜」

そう声がけされたあと、切った腹の肉を何かしらこねくり回している感じがする!何何何!? うどんってこういう気持ち~~!?

不覚にもうどんの気持ちを理解したところで、グッグッグッと3、4回くらい腹を強く押されると、先生が「はい赤ちゃん出るよ〜」と声かけがありました。
その直後、お腹から大きな何かが出されました。何かってまぁ確実に赤ちゃんなんですけども。気まぐれに小腸とか出し入れしてたら怖すぎるし

そこから覚えているのは、肺いっぱいに水が満ちて溺れたような声を出しながら、懸命に息を吸って泣こうとしている赤ちゃんの産声。あとは自分の下腹部が何かしらの処置を受けているうっすらとした感覚。やっと意識した手術室の照明のまぶしさ。おめでとうございますという複数人からのぼんやりとした声かけ。

助産師さん「ほら、お母さんだよ」

助産師さんが、私の顔の横に赤ちゃんを置いてくれます。ついさっきまでお腹の中にいたので、なんらかの液体にまみれて肌は白く、そしてびっくりするほど小さい。私は目が悪いので、眼鏡もコンタクトもしていない状態ではほとんど顔は見えないけど、体をジタバタさせて、ドラマでしか聞いたことのない産声を一生懸命に上げています。

こうして、予定より10日早く、緊急帝王切開で私の赤ちゃんは産まれました。

***

出産後は赤ちゃんを抱くこともできず、あっと言う間にストレッチャーに乗せられ、気づけば病室のベッドに寝ていました。

助産師さん「血圧上がっちゃうから、部屋の電気もつけないで、テレビとかスマホも見ないようにしてね」

そして病室はちょうどミスチル「HANABI」のMVと同じ暗さに設定されます。

画像1

(参考:HANABIのMV)

助産師さん2人が、ベッドの脇で何かしらの器具を準備しています。

助産師さん「はい、点滴の針刺すからチクっとしますよ~」

助産師さんはそう言って針を刺そうとしますが、私の腕はむくんでしまっているので血管がうまく浮かんでこないらしく、「ごめん、もっかいやり直していい・・・?」と何度もチャレンジします。刺してはやり直し、刺してはやり直しを繰り返すこと3回。最終的には手の甲とひじの近くの大きな血管に針を刺すことで対処しました。これが、信じられないくらい痛いのです。

痛い

(いてぇ~)

そして右腕には血圧計を装着。この血圧計は15分おきに自動で血圧が計測されるようになっており、忘れた頃に「ブイィィイイ~ン」という音を立てて右腕を強く圧迫します。

さらに両足には、むくみを緩和するためのマッサージ機を巻きつけ、トイレにも行けないので尿道カテーテルも装着されます。両手、両足、尿道の三点が見事に拘束され、いまこの病室に何らかの理由で立てこもり犯がやってきたら確実に助からない状態になりました。

四肢を拘束されて身動きを取ることができないうえ、テレビもスマホも禁じられているので、薄暗い部屋でただ時間が過ぎるのを待つことしかできません。この部屋での唯一のエンターテイメントは点滴の雫が落ちるのを見るのみとなっております。テレビもねえ、ラジオもねえ、と東京行きを決意した吉幾三に、東京にも点滴の雫しかエンタメがない場所があることを教えてあげたい。

しばらくして、病室のドアが開き助産師さんが入ってきました。

助産師さん「ちょっと出血の確認するね〜」

そう言って、私のパンツの中身を確認します。

助産師さん「お腹押すよ~」

お腹を押す?

躊躇することなく、助産師さんは私の腹を全力で押しました。

私「アァァァァアアアアアア~~~!!!!!

痛すぎて怪鳥みたいな声が出ます。野鳥の会が慌てて数えにくるんじゃないかと心配になるレベル

お腹を押すってペンライトとうちわを持ってお腹を「がんばれ~!」って推してくれることを一瞬だけ期待しましたが普通に物理的に押されました。いやさっき切り開いた腹をそんな、全力で押したら、そんなん、ダメじゃ~ん

助産師さん「はい、またあとで来ますね」

またあとで来るの・・・?

いったいなぜ腹を押されたのか何も分からないまま、助産師さんは去っていきました。通り魔的犯行です。もう点滴の針の痛みとか全部吹っ飛んで「腹が痛い」という感情以外すべて失われてしまいました。全国のマフィアの皆さんは新しい拷問としてこれを取り入れてください

***

恐怖の腹押し事件から1時間ほど経った頃でしょうか。突然の激しい悪寒で体の震えが止まらなくなりました。歯がガタガタと音を立てます。布団をかぶりたいと思っても体が動かせず、悪寒が引くのをただ待つことしかできません。そして続けて、急激な吐き気が襲います。偶然枕元にあったビニール袋を口に当て、吐こうとするも術後の腹が激烈に痛んで吐けず、吐瀉物の代わりに「アアアァァアア」という声が出ます。「絶対に吐きたい胃」と「めちゃくちゃ痛い腹」のほこ×たてを勝手に開催するな

やっとのことで悪寒が過ぎ去ると、お次は急に暑くて仕方がなくなってきました。喉もカラカラですが、翌日まで水もお茶も飲んではいけないことになっています。動かしづらい手でなんとか布団を剥ぎ取りますが、両足に巻き付いているマッサージ器の中が蒸れて不快感はなくなりません。

このマッサージ器、最初は「きもちいい~」ってありがたい存在だったんですけど、何時間もずっと「ブ ブ ブ ブイ~ン ブ ブ ブ ブイ~ン」って一定のリズムでマッサージされ続けると「もういいよ・・・」という気持ちになってくるんですよね。どこかの国に、長時間顔に水滴を垂らし続けて発狂させる拷問があったと思うんですけどそれと全く同じ原理で、長時間同じリズムで足をマッサージされ続けると人は発狂するのではないかと思います。もしかして私は気づかないうちに何かしらのタブーを犯してしまって拷問を受けているのか?

***

早く時間が過ぎてほしいので眠ろうと目を閉じると、15分おきにセットされた右腕の血圧計が「ブウ~~ン」と音を立てて稼働して腕を締め付け、無理やり眠りを覚まそうとしてきます。部屋が暗いので時計が見えず、いま現在何時なのかがまったくわかりません。手術を終えたのがたしか昼の12:30ということだった。体感ではもう深夜3時くらいなのだが・・・

そのとき、助産師さんと、分娩を担当した医師が病室にやってきました。ベッド脇の何かしらの機器を確認します。

担当医師「よし、点滴足しましょう」
助産師さん「はい、ちょっと点滴足しますね」

私の何かしらの数値がアレだったのか、何かしらをアレする点滴が追加されました。点滴かける場所ギチギチになっちゃってキャパを超えてる感じするけど大丈夫なのか・・・?

画像5

(ギチギチ)

私「あの、今何時ですか?」
助産師さん「いま?夕方の18:00だよ」

まだ、夕方の18時・・・・・・ここから、明日の朝まで耐え続けなければならないというのか。絶望感に襲われます。

助産師さん「はい、ちょっとお腹押しますね」
私「アァアアアアアア~~~~~!!!!

再び、痛みで叫び声を上げる私。えっこの腹を押すイベントって不定期開催されるんですか!? せめて、なんのための腹押しなのかだけでも教えてほしい

助産師さん「血圧上がらないようにリラックスして過ごしててね」

果たして痛い腹を全力で押されたあとにリラックスできるかな?

しかし、自らの健康のために血圧上昇は防がなければなりません。なんとかしてリラックスできる方法を探します。そうだ。頭の中に音楽を流そう。いつだって私を救ってくれたのは、音楽だったのだから・・・

と思ったらなぜかDA PUMPのU.S.A.「カッカッカッカ~ン」の部分がエンドレスで頭を駆け巡り始めました。なんで?

画像6

(参考:カッカッカッカ~ンの部分)

私の頭の中でISSAたちが激しくカニ歩きのダンスをしています。こんなの血圧50000くらいになるだろ

これにて、左腕の点滴の痛み、右腕の血圧計の圧迫、両足のマッサージ器に加え、「DA PUMPのにぎやかさ」という新たな敵が加わって私の眠りを全力で妨げにきてしまいました。勝てっこない

その後も何度か助産師さんが部屋に来て腹を押す、点滴を交換する、といったイベントが発生し、半ば気絶するような形でいつの間にか眠りに落ちていました。

7月14日(水)おいし~お茶

朝7:30。病室に1杯のお茶が運ばれてきました。寒い→暑いを繰り返し喉カラカラの私にとって、人生で一番美味しいと感じたお茶でした。他のどんなお茶職人が綾鷹を選ぼうと私だけは綾鷹じゃなくてこっちのお茶を選ぶ・・・そう心に誓いました。

この日も変わらず丸一日寝たきりの状態で身動きは取れませんが、満身創痍になりながら、Twitterにて出産報告のツイートをしました(いいねやコメントをくださったみなさん、ありがとうございます。本当に励みになりました)

7月15日(木)大切な気づきと子パワー

再び長い長い夜を越え、1日ぶりの食事が運ばれてきました。食事といってもまだ米などを食べることはできず、流動食です。

自力で体を起こすことはできないので、パラマウントベッドの昇降機能を駆使して座る体勢になります。これも、腹が痛すぎて「イデデデデ」と声を上げながら、少しずつ上体を起こします。

流動食を目の前にして、私は思いました。

食欲って何だっけ?

細木数子の冠番組「幸せってなんだっけ」みたいに言ってしまいすみません

目の前に1日半ぶりの食事が用意されているというのに、まったく手をつける気にならない。私がJ.K.ローリングだったら「ハリーポッターと失われた食欲」っていう新刊を書き上げていると思う

なんとか口に運んでみますが、頭がふらふらして体を起こしていられません。無理やり2口ほど食べ、横になります。

そこへ、ちょうど助産師さんがやってきました。

助産師さん「うわ!顔真っ白だね!」
私「すみません、ご飯食べられなくて・・・」
助産師さん「貧血になったんじゃないかな。鉄剤の点滴を追加しておこう」

そう言うと、茶色っぽい色の点滴をひとつ追加してくれました。血圧は高いのに貧血になってる状態って、何?また「ほこ×たて」開催してんの?

ひとつ点滴の袋が追加されたところで、配膳の女性が食器を下げるために部屋に入ってきました。

配膳の女性「まあ、たくさん繋がれてお母さん大変ね~」

私の点滴の量を見て驚きの声を上げる女性。

配膳の女性「赤ちゃんは元気?」
私「多分、元気だと思います。生んでからまだ会えてなくて・・・」
配膳の女性「そうなのね。赤ちゃんも頑張ってるのね~」

女性はもう一度、私の点滴を見上げて言いました。

配膳の女性「みんながたくさん助けてくれてるのね」

静かにそう言って、部屋を去っていきました。

そうか・・・自分の体の変化にいっぱいいっぱいすぎて、私はとても大事なことを忘れていた・・・

夜通し私の血圧をチェックし、ナプキンを交換し、尿道カテーテルのつながった袋を交換し、優しく声をかけてくれる助産師さんや先生。

この点滴は、みんなから集まった、言わば「元気玉」だったってことか・・・

自分ばかり大変だと思っていましたが、みんなに支えられて、私も子もいま生きているのだと気づき、この日少しだけ泣きました。

***

いつものように、助産師さんが血圧と点滴の減りを確認するため病室へやって来ました。

助産師さん「赤ちゃん、昨日までは保育器に入ってたんですけど、さっき出られたんですよ」
私「えっ、そうなんですか」

妊娠高血圧症候群の影響で小さく生まれた子は、しばらく保育器に入ってお世話をしてもらっていたそうです。そんな風に私の知らないうちに頑張っていた子と、懸命にお世話してくれていた助産師さんたちを想い、メンタルがグズグズになっている私はまたちょっとだけ泣きそうになる。

助産師さん「赤ちゃん、会いますか?」
私「会いたいです!」

産んでから3日が経過しているのに全然顔を見ておらず、そろそろ自分が出産したことを忘れそうになっていた頃でした。分娩室で一瞬だけ顔を見ただけの子を、今日こそしっかりと抱きたい。

しばらくすると、助産師さんが赤ちゃんを連れてきてくれました。

ピカァーーーーーーーーーーーン

ウ、ウワァアアアアア!!!!

初めて見る「新しい命」は目がくらむほど眩しすぎて、ベッドから転げ落ちそうになります(実際は転げ落ちたら"死"ですので例えです)

脳内メーカーが「悪」で囲まれている私にとって、生後3日の赤ちゃんは、あまりに眩しくて尊すぎる・・・

脳内メーカー

(最悪の脳内メーカー)

助産師さんが、赤ちゃんを私の腕に抱かせてくれます。生まれてからはじめての抱っこ。慣れない手付きで抱いているにもかかわらず、赤ちゃんはまったく目を覚ましません。

『あったかくて柔らかくていい匂いがするとてつもなく愛おしい不思議な生き物がいきなり腕の中に飛び込んできた件』ていうなろう系小説書こうかなと思うほどの愛おしさが心の中で爆発しそうになります。なにこの生き物・・・どこもかしこもフニャフニャで弱そうすぎて、爆裂に可愛くて・・・ぜってー私が守らなくちゃいけないじゃん・・・

腹がまだまだ痛いので、5分ほど抱っこさせてもらい、赤ちゃんは再びナースステーションへと戻っていきました。

その直後、嘘みたいな話なのですが、それまで寝たきりだった私の体に変化が訪れます。

さっきまで10分かけて起き上がっていたベッドを、ものの数秒で起き上がることができるようになり、この日出されたごはんも9割食べられるようになったのです。昨日まで顔面蒼白で流動食すら食べられなかったのが嘘のよう。

これが、母性・・・!?

これが、俺のチカラ・・・!? つって急に覚醒する少年漫画の主人公の気持ちが完全に分かった瞬間でした。

***

自分のことで精一杯で「自分の命に代えてでも守りたい」と思える存在なんて、これまでの私にはありませんでした。

昔付き合っていた恋人に「もし俺がワニに襲われてたら助けてくれる?」という謎の質問を投げかけられ「助けない・・・」と答えたクソみたいな私ですが、目の前で自分の子がもしワニに襲われてたら、たとえ自らが死んででもワニにローリングソバットをキメて子供を絶対に助ける。

30年ほど生きてきて、自分のことを全部知ったつもりになっていましたが、まだ未開封のままの感情があったということがなんだかとても嬉しく、人生のA面からB面への隠し通路を見つけたような気分です。

いまこの世に生きているあらゆる人が、小さくて、尊くて、大切に思われるべき期間を経ていると思うと、全てに対して優しくありたいと、聖人みたいなことを本気で思ってしまいました。

「新生児なんて育児楽勝だから」「大変なのはこれから」「かわいいと思えなくなる日も来る」とかって、もしかしたら色んな人から言われるかもしれない。けど、10ヶ月越しにやっと会えた子供を抱いたときのあの泣きたくなるような感情は絶対に忘れたくないと思って、感じているそのままを、この日記に書きました。きっとこの先、きっとというか絶対、大変なこともたくさんあると思うけど、この日記を読み返して、初めて感じた気持ちを思い出してちょっと泣いて、また立ち直れたらと思います。

この次の日から母子同室になり何もかも初めてでどうしていいかわからなかったり、退院後の生活もてんやわんやの毎日なので、それについてもnoteに少しずつ書いていきたいと思います。

画像4

一旦おわり

【本日の1曲】紫の夜を越えて / スピッツ



ありがとうイン・ザ・スカイ