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死に向かう人と迎える人

一か月前、大切な人の余命が少ないと告げられました

いきなりです。診察に行ったまま入院し、検査の結果は末期がん

何の前触れもなく、頭をバットで殴られた感じでした。

この記事は「介護」「余命」「大切な人の死」いろんなものと向き合った1か月をつらつらと書いたものです。

人の死は身近なものなのか

私は高校生の頃から死生学が好きで ”死” について考える時間が人より多いです。そしていつも死生学関連についてはアンテナを張っています。

なんの番組だったか忘れてしまったのですが

昔は死が身近にあった。家で自分のおばあちゃんやおじいちゃんを家族みんなで看取ったり、ご近所さんの葬儀を手伝ったり。現代は ”死” がタブーになり身近ではなくなったため異常に怖がる人が多い。死ぬことはタブーではないのだ。

これを聞いた時ピンとこなかったのですがようやくわかった

私は様々な事情により死がかなり身近で、今回の大切な人が危ないと聞かされるずっと前から覚悟や向き合い方を考えていました。

でも周りは違った

「今日も電話でさ、もうすぐ死んじゃうからなんて言うんだよ?酷いよ。困惑させて」

「もし退院して死んじゃったらどうしよう、怖い」

「全然安定してるじゃん。俺より健康だよ」

「本人が怖がってるだけで実際安定してるし。本人に余命は伝えてないから死期が近いことは知らない。なのに心配しすぎ」

「もしもし?体調どう?死ぬなんていわないでさ頑張ろうよ!まだまだこれからだよ。ご飯しっかり食べてね?大丈夫!頑張ろうよ!」

はぁ?

え、は、はぁ!?!?!?!?!?!?!

私自身の考えは

・本当に最後なら周りの気持ちより本人の意思を尊重すべき

・頑張っている人にもっと頑張ろうといわない

・リスクを覚悟のうえで本人が希望していることがあるのなら、私たちの意思よりそちらを優先すべき

現段階ではリスクがかなりある退院を本人は希望しています。

リスクを覚悟のうえで。

それを周りの人は「死んでしまったらどうしよう」「まだ数値安定してるしもう少しじっくり考えよう」「責任取れないよ」

これは周りのエゴだなと思っています。

本人は家で死ぬ覚悟で帰りたがっているのです。

勿論受け入れる側の準備等もありますが、私の場合受け入れ態勢は整っていてコロナ禍で忙しい医療関係者の方々も退院に向けて尽力してくれていました。

数値が安定しているのは24時間監視体制にある病院にいるからです。

その数値が変動した時、死か意識混濁で帰宅できなくなります。
実際一度退院したのですが、帰宅途中で意識がなくなり再入院に。
その後数値が安定せず意識がなくなったり、混濁状態に陥ることも多々ありました。
「ナースコールが押せない、助けて」こんな電話も増えました。

本来病棟内は電話禁止で決められた場所でしか電話ができないのですが、個室だったのともう余命が少ない歩くことすら困難という点を考慮して看護師さん達が見てみぬふりをしてくれていました。
※これは特別なケースです。この記事に「病棟内で電話できる」と書いてあるからと言って全ての人が許されるわけではありません。

コロナ渦の影響もあり面会謝絶、数値が下がっても会うことはできない

「もう死んじゃうかも。今までありがとう。幸せでした。あなたのことは忘れないよ」
本人からこんな電話がきても会うことはできないのです

次会えるのは亡くなった後になります。

白い天井を眺めて過ごす1か月と家で過ごす2週間

皆さんならどちらがいいですか?

この時大切な人は '''家で過ごす2週間''' を希望していました

死を受け入れてよ

人は必ず死ぬ、目前にしたら怖くもなる、日々辛くて泣けてきても時間は止まってくれない、ゾンビにもならないし不老不死の薬はない

人は死ぬんだよ

考えるべきところは死ぬ事じゃなくて、どうやって最後を迎えさせてあげるかでしょ?

周りの行動を見るたびに「もしかして私が異常か?」とも思う

悲しいとか辛いとかあるよ、毎日毎日覚悟しなおしてるよ、夜は疲労から寝落ちして朝は早くに目が覚めてしまうよ

怖いよ

それでもこんなに冷静に順序だてて考えられるのはもっと前から考えていたから

死が身近だから

皆さんはどうやって死にたいですか?

私はもう考えてあります。

まだ21歳です

寿命までまだまだあるのに早いかな?

早くないよ、人生何があるかわからないからね

臓器提供はどうしよう、検体はどうしよう、延命措置はどうしよう

年老いて痴呆が混じってきたらどうしよう、遺品の処理は誰に任せよう

今一度考えてみて

正しく死ぬことを怖がろう

家族がいるなら親に ”どう死にたいか” 聞いてみよう

ちょっとした行動がいざというときに自分を助けるよ

あと少しの時間を大切に過ごしていこうと思います。

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この記事は大切な人が生きているときに書きました

無事退院する事ができ、自宅で家族に見守られながら亡くなりました。

今改めてこの記事を見ると「あ~自分戦ってんな」って思います

死と向き合って得られたのは "最期を見据えた上での穏やかな時間" "計り知れない量の人生経験" でした

故人は自分が選んだ選択肢を尊重してくれたことに感謝してくれて、看取る私たちはゆっくりと一緒に最期を過ごすことができました。

「ありがとう」その言葉を電話ではなく直接聞くことができました

介護は想像以上に過酷で精神も日々摩耗していくのが分かるほどでした。
安心して眠りにつけない、明日には死んじゃうかもしれないという緊張感、様々な手続き、日々弱っていく姿
全てが辛かった
だからこそたまに目を覚まし微笑んでくれるのが嬉しくて、毎日介護を続けられたんだと思います。


良くも悪くも故人は余命が短かったので介護も短い時間でした。

介護の期間が年単位になっていたら......耐えられなかったかも。

そして介護にはたくさんの人が関わっていることもわかり、21歳の若者には貴重な人生経験になりました。

この経験は大切な人が最期に残してくれた贈り物だと思ってます。

こんなこと言うのは不謹慎と思われるかもしれないけど、最期まで心臓を動かそうとする人体に感動を覚えました。

心から感謝を

私のために涙を流してくれたあなたに花束を

あの時戦ってよかった

しばらくは自分をほめて休もうと思います

何よりも、お世話させてくれた故人に感謝を。

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