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なんにもない日に


こんちゃ、采蓮です。


今日は何でもない日の話



私は何でもない日を愛す努力をしてます
普通こんな事努力する必要はないと思う
何でもないからこそ、愛したい
今日は朝7:00に目が覚めた
ゴミ捨てをした
コンポタージュとパンを食べた
Youtubeで最近お気に入りのR&Bを聴きながら布団に潜った


今日の予定は病院に行く事、それだけ


なんにもない日です



なんにもない日を愛す努力を始めたのは18歳の頃から。
それまでは「何もない日は罪」と思っていて

何もしてない日=私がしっかりしてない

謎の方程式で自分を縛っていました。
世界中の人が働いているのに私は布団の上で寝転んでいる、朝からスープを飲んでいる、なんて贅沢なやつ。


放っとくと黒いものが込み上げてきて私を蝕むようになりました。
だからあえて何もない日にだらだらする自分を褒めます

何もない日にだらだらできる自分偉い


それに何もない日が人には必要です
マグロみたいに前だけ見て泳ぎ続けることはできません
一休み置いたり、ご褒美があるからこそ人は頑張れるもんです


何もない日を愛するとこんなことにも気付きます
「寝起きの水は美味しい」
「コーヒーをドリップしてる間ってとても暇」
「うたた寝は最高」
「道端に咲いてる花が綺麗」



10代の私は理想が高く「社会に出たらバリバリキャリアウーマンして、休みの日も忙しなく何かしている、それでこそ大人」
と思ってました


無理だよ〜ん
10代の私ばーかばーか
一人暮らしすると休みの日でもすること沢山あるんだよ!
そんなバリバリできるか!
大体10代の私は今よりもぐーたらしてるだろ!
理想だけ高くて自分自身を縛りやがって、苦しいだろが!!
社会人になって急に変わると思うなよ〜だ!
そんな呪縛さっさと解いちまえ!!



最早どっちが子供かわからないけど、これくらいが生きやすいと最近気付きました
隣の芝はいつも青い
でも私の芝はどこの芝よりも居心地がいい



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