あえて言挙げをする意味

1

香港で100万人規模のデモが起こった。

外国人を含む香港での表現の自由を侵害する恐れのある逃亡犯条例に対し、香港市民が反発したものだ。

大学生の女性の会見を見ていて、僕は素晴らしいと思った。

こういった命の危険を顧みない勇気ある言挙げが世の中を変えていく原動力になるのだろう。

人権が守られてこそ、民主主義が機能する。

人権無視の国家のままでは、いつまでたっても僕達日本人の多くは中国人や中国企業による日本の土地や企業買収を中国政府コントロール化の経済侵略だと色眼鏡でみざるをえなくなる。

(でもこういう海外が絡むときに限って左系の方々が黙ってしまうのはなぜだろう?共謀罪と同じ人権問題なのに)

いまや中国は世界2位のGDPを誇る国なのだから、それにふさわしい言動をとるべきではないかと思う。

2

とはいえ、その結果としてなのか、羨ましい部分もある。

それはテロを含む外敵や凶悪犯に対する国家内部の安全確保の体制。


具体的にはビックブラザーもびっくりの徹底した監視機能と徹底した警察権力行使。

作家の塩野七生曰く古代ローマ帝国が市民から信任された理由は食料の確保と安全だったと。

このことは国家一般にいえる事だと思う。

国の役割としては国民が自由に生活出来る前提として、国民の生命・身体・財産を保護しなければいけない。

それは衣食住の環境を整えることだけでなく、安全の確保も至上命題になると思う。

安全が確保されて始めて自由が生まれる。

そういう意味ではこの日本は安全確保が不十分だと思う。

今までが平和すぎた。

冷戦時代における資本主義陣営の最前線にいたこともあり、アメリカ軍に守ってもらいすぎた。また中国も今とは比べ物にならないくらい弱かったし、北朝鮮のミサイルによる挑発行為もなかった。

のみならず、日本の社会主義化を防ぐためのアメリカの戦後復興のノウハウも含めた経済支援もあった。

そのおかげで日本は経済発展し、それに比例するよう治安も安定してきた。

こういった背景からいつしか日本人は安全と水はただだという認識をもつに至るようになった。

その名残がいまだに続いている。

でも、これから東京オリンピックを迎えること、というか現に今、世界中からインバウンドによる外国人の出入りが活発化してきている。

当然その中には、テロリストも紛れている可能性も否定できない。

また川崎児童殺傷事件のような突発的な殺害事件も増えている。


本当はこのような場合、警察官の増員で対処すべきだろう。でも国家予算上限界がある。

そこで、それを補完する役割として民間警備が存在するわけだが、いかんせんいろんな意味で弱い。

まず、警備員の若手が不足している。ほとんどの警備会社にとってはいかに高齢者の方を確保し、働いて頂くかが現実的な問題となっている。

それはいただける額が少ない結果、全業種の平均と比べ、大幅に平均賃金が安い。
せめてなんとか平均ぐらいいただけるよう、ウチは努力をしているが、厳しいのが現状。業界の中ではしっかり仕事をこなしてきた部類に入るウチでそうなのだから、これは一企業の努力云々の次元を超えていると思う。

いくら高齢者が優秀でも、体力的な限界がどうしてもあるためやれることが限られる。何よりそのお金でいざというとき、テロに対し、自分の命をかけてくれとお願いする事自体に無理がある。

実際、テロリストを前にして冷静に警察に通報できるかどうかわからない。してほしいとは思うから教育はしているのだが…。

さらには、権限がない。これが一番痛いだろう。

民間警備はあくまでお願いする仕事。例えば逮捕にしても現行犯逮捕ができるが、それは一般市民全員ができる結果、許されるに過ぎない。

一定の要件やテストをクリアした者、警備会社所属の警察OBによる拳銃所持資格を認めることも本当に検討すべき時に来ているのではないか。

また、町中に監視カメラの設置を徹底するにあたって肖像権やプライバシーの問題とどう折り合いをつけるかの問題もある。

こんなことをいうと、テロリストが見てたらどうするみたいなことをいう人もいる。現にいままで何度かそんな注意をうけた。

でもそんなの自分が言わなくとも調べればすぐにわかること。またそのようないろんな言論がネットで飛び交う現状を想定しておくのが適切な危機管理というものだと思う。

大切なのは、SNS時代という現実と向き合った上で、テロリストの脅威に対して、どうやって国民の安全を確保するか、職種関係なくみんなが知恵を出し合い、協力しあう事だと思う。

そのためには、ここは香港の女子大学生に倣って言葉にするのを恐れることなく、どんどんいろんな人が問題点を挙げたり、提言していくことが大切だと思う。

それがこの前の新幹線殺傷事件、それに川崎児童殺傷事件での教訓だろうと思う。

諦めても何も始まらない。

言葉は嘆くためではなく、解決するためにある。

現状と向き合った上で、日本の例えば技術的な部分や高い民度といったいいところをいかに治安の維持に役立てていくか。そんなポジティブな発想が求められると思う。


そう信じたいものだ。

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