〝腐ったミカン”だからこそ意義がある

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座敷わらしがいつく家は栄えるが、その子が去る家は衰退し、やがて滅びるという。
この言い伝えの意味は遊び、言い換えれば無駄を許さない場所は甚だつまらないということなのか。

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腐ったみかんという言葉はドラマの世界だけではなかった。

かつて金八先生で老教師が放った腐ったみかんという言葉。

これは他のクラスメイトに悪影響してしまう問題児のことを表す言葉だが、これを現実社会の追手門学院の職員研修で、依頼されたコンサルが職員に放つという事件があった。

確かにうちを含めたほとんどの会社や組織にも問題児はいる。

そういった人間のせいで、他の従業員の勤労意欲が削がれることもまた事実。

でもそういった人間がいるからこそ、職場の空気が和む場合もあるし、反面教師的に他の従業員が結束する場合もある。

そして何よりその人だからこそ成立する仕事もある。

例えば、青色発光ダイオードを生み出した中村修二教授もかつていた会社では変人扱いでまさに老教師のいう腐ったみかん扱いだった。

でも、その彼が青色発光ダイオードを発明し、この会社も恩恵を受けた。

確かに組織内で変人扱いされた彼は、その後、この会社はおろか、「変人」を排除する日本社会を嫌うようになり、アメリカに移住してしまった。でもその会社な排除はしなかった。


この差は大きいと思う。


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そんなことをいうと特に現場管理者には綺麗事に聞こえるかもしれない。

現実問題として結果的に実際そういった問題児を排除してしまう場合もある。

でも、262の法則じゃないけど、そうやって腐ったみかんを排除していっても、また新たな腐ったみかんが出てくる。

にもかかわらずそういった排除を続けた結果、組織はどんどん縮小するだけでなく、多様性が失われてつまらなくなってしまう。

そんな会社に面白い商品やサービスが生み出せるだろうか?


組織内にそういった人的なスラック(余剰資源)を持つことは会社が飛躍するためには必要だと思う。

少なくともマクロ的観点から組織を見なければいけない経営者や経営幹部としては大切にしなければならない観点だと思った。

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