過ぎたるは猶及ばざるが如し

個人頼みでない会社としてのサービスをお客様に提供するために1人親方だらけの烏合の衆から理念の浸透した組織風土を会社に根付かせる。そのためには時に思い切った手術が必要である。

すなわち、スタンドプレー精神溢れる1人親方を生み出す温床となっている短期・スポット契約の比重を下げ、長期かもしくはスポットでも安定した仕事をとってくる。その上で彼らをそういった仕事現場にふりかえ再教育を施す。それでも改善の余地がないなら残念ながら…、という方策を今行っている最中。一部から強い反発があったものの、昨日1つの峠を越した。

すべては本物の警備の実現のため。自分が目指す組織のイメージとしては1つの理念や目標のために従業員が一丸となって頑張る組織。下町ロケットや陸王といった池井戸潤が描く世界のイメージに近いのかもしれない。

そんな理念の浸透した組織風土を著名なビジネス・コンサルタントのジェームズ・C・コリンズ氏の代表的著書「ビジョナリーカンパニー」の中ではカルトのような文化と名称して時の試練を超えた生産性の高い、永続的な組織の基礎になっている旨述べている。

こんな組織風土のある会社に出来れば社長としては本当に感無量だと思うのだが、何事も過ぎたるは猶及ばざるがごとし。そこには注意しなければならない問題がある。それはグループシンク(集団浅慮)の問題である。以下それについて説明した後、そのための対策を自分なりに考えようと思う。

コリンズ氏は理念への熱狂、同質性への追求、強化への飽くなき努力といったことがカルトのような文化の特徴として挙げている。

このような集団の結びつき(集団の凝集性)の強い組織は方向が間違っていなければチーム一丸となって目的に向かうので強い生産性を発揮する。

しかし、外部から孤立したり、隔絶するなど一定の要件の下で一歩方向を間違えると軌道修正が図れず、どんどん間違った方向に暴走していまい、最悪の場合、組織が崩壊してしまうことになる。この暴走のその最中、組織の中では自集団に対する過剰評価、閉鎖的な発想法、画一性や同調への圧力、挑発的な外部環境への態度といった状態が出現する。

このような集団で意思決定を行うと、かえって短絡的に決定がなされてしまうという現象のことをグループシンク(集団浅慮)というらしい。

よく例として挙げられるのが、オウム真理教による地下鉄サリン事件だったり、連合赤軍による浅間山荘事件が挙げられるが、なにもそのような破壊的なカルト教団だったり、急進的な学生団体だけに限られず、同質性の強い普通の日本人の組織の傾向として捉えるべきだと思う。だってカネボウ・オリンパス・東芝といった日本を代表する大企業の粉飾決算なんてまさにグループシンクの力学が働いたとしかいいようのないものばかりじゃないか。


そのようなゆゆしきグループシンクに陥らないためにはどうすべきか。

まずは組織なり集団の中に、違った意見や考えを持つものの存在を認め、クループで忌憚のない意見を言い合う機会を設ける必要がある。適度のコンフリクト(対立)は組織を健全にさせるというわけだ。そのために自社は隊長会議や各部門にミーティングの場を設けているが、その場で本当に各隊員がへんな忖度をしていないか検証をする必要がある。

あとは、隊員達を一つの現場に固定して、過度の同質化を防止するため、配置換えを考えたり、それが厳しければ、他の部門なり、現場の仕事も担当していただく警備員の多能工化を推進することも必要。自社では現在それを実行中である。

会社のため、ひいては顧客や社会のために何か1つの形を志向すること自体は正しい。ただどんな形をとるにせよ、そこには問題点が潜んでいる。そのことに留意しながら進んで行きたいと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?