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ダジャレの有用性とは(2022/04/10)

・<今日の気づきのコーナー>

・King Gnuの曲に「泡」というものがある。僕はずっと「あわ」だと思っていたのだが「あぶく」と読むのが正解らしい。恥をかく前に知れてよかった。

・こういう間違いってあるよね。

・僕は「現人神(あらひとかみ)」をしばらく「あらじんかみ」だと思っていて、実際に恥をかいたことがある。




・こんにちは、sirasuです。

・昨日はオリエンテーションがあった日だった。実際の問題は、新しい環境、ここで友達が作れるか否か。これにかかかっていると言ってもいい。

・そして実際は。。。

できたー!!

・思ったよりあっさり喋れる人が増えてしまい、拍子抜けしてしまった。

・しかし、ここで喜んで次につなげないやつ。そんなのは二流も二流。もはやカイリューだw


・反省会を開くと、まず話しかけてきたのは向こうからだったということ。つまり僕が作ったというのはかなり語弊がある。向こうが違う人に話しかけていたら未来はまた違うものになっていたのだ。受身な姿勢で友達ができるわけもなかろう。もはや友達ができたと喜んでいいのだろうか。

・もう一つは自己紹介の時に好きな漫画が「よつばと!」である旨を話してしまったこと。これは完全にオタクの早とちりだ。まずはジャブを少しずつ打っていき、互いの輪郭像を描写しなくてはいけないのに、いきなり右ストレートを打ってしまった。今の僕はアイマスのプロデューサーの「うっ、しまった。別のことを言えばよかった…。」状態なのだ。


・うーん。

・まあ、いっか。


・知り合いができた時、互いに趣味を聞いていくという苦痛な時間がある(最も既にジョーカーを切ってしまったのだが)。この質問が僕はめちゃ苦手で、向こう側を「あー、こいつ俺のこと知りたがってるんだ、ダサw」と精神的に有利にさせているような気がして嫌だ。実際はそんなことないんだろうけど、なんか思ってしまうのだ。初めてのバイトの時も先輩に何かを聞く時、「こいつ、業務について行こうとして必死じゃんw」みたいなことを思われてしまっているのではなかろうかと不安になる。

・とにかく何かを初めたての頃は自分が劣勢に立たされている気がしてならない。この状況を打破するには自分も「オマエ、この俺と仲良くなりてえの?w」の有利な境地に立つべきなのだが、そんな不遜な人間にはなりたくないので結局へりくだってしまう。


・人間関係むず〜。まだSEKIROの方がマシじゃん。




・今日、なんとなく海外のVtuberの人の切り抜き動画を見ていたのだが、「メガネに目がない」というしょーもな駄洒落で大笑いしていて、何だか不思議な感じだった。

・ダジャレなんてもう精神が成熟している我々にとってはあえての透かしとしてのギャグみたいなもんで、日常生活でマジにおもしろ発言としてダジャレをいうやつなんてただのおじさんかイカれたやつかの2択だ。

・でも確かに日本語初心者からしたらダジャレ的な言葉あそびって物珍しい感じなのか。言われて見ると小学校の図書館には「ダジャレ100連発」的な本がおいてあったような気もする。もうすでに日本語をある程度操れるが故にしょーもなさを楽しむ我々とは違い、異口同音の言葉のニュアンスの違いで日本語を学ぶにはうってつけの題材なのかも。

・でもダジャレ、好きなんだよな…。

・海外の人は逆に鉄板のアメリカンジョークを自信満々に言ったら笑ってくれるのだろうか。「オーノーw」と肩をすくまされそうな気がする。でもアメリカな人はガハハと笑い飛ばしてくれそうな気もする。


・あと小学生の時によく見た「ダジャレをいうのは誰じゃ?」ってギャグ、誰じゃとダジャレを引っ掛けるのは無理があるだろ、とずっと思っていた。ダジャレは無理があると面白さが半減くらいする。


・紅茶が凍っちゃった




・疲れたのでもう登校しよう。

・では、また。

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