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20代で得た知見を読んで

(過去の私の記事から転載してますので白瀬として書いたものではないですが、よく書けたので載せておきます。)

頭の中が煩い、そう思った事は皆様にはあるだろうか。恋した失敗した成功した、諸々の出来事によって頭の中が煩い事は一般的にあるはず。でも、そうじゃなくて、ある一冊の本を読んだ事で、孤独によって脳内で生み出され続ける他人には到底送りつけようもない、Twitterで叫んだところで読み流されるようなお粗末な怪文書が加速する現象に名前をつけたい。マジで。そう、前提私は大体孤独だと感じている時や生き方に迷った時は頭の中で歌のように怪文書が流れ続ける。あ、この文いいかも〜なぁんて思ってるうちに流されて流されてそのこの文いいかもと思った文字列は死んでいく。生まれては死んでいく的な?まあ所詮は私から生み出されるんでね、きっといつか再放送されるよ。多分、と思いながら怪文書のライブステージをはいはいって聞き流したふりをしては胸が詰まる息が詰まる苦しくなる。だって、思考の滝がもう襲ってくるんだから。これからどうする?どうしたい?なにが正解?なにが素晴らしい?完璧?これ?これ?これこれこれこれこれですか!って、頭の中で延々に流れんの、マジで気が狂いそうなんだけど。取り止めのない文章です、なにを私が今読んでいるのか、それはFさんの20代で得た知見ですよ。前置きクソ長いのごめんね。

随時更新していきます。この記事は物好きな人だけが読みます。

最初の一ページ目の挨拶を読んで、既に心は掴まれていた。本当は私なんか居なくたっていい。世界は勝手に回って勝手に始まったり終わったりしていく。世間様の歯車としては残念ながら出来損ないの、この私の思いは20代を過ぎたところで消えることはないだろうし、今後ともよろしくお願いしなきゃならん、困りますね〜。こんな私を、どうしたらいいんだろう。直接友達と会って美味しいものを食べる、いい女と巡り合って愛し合う、こうして書き連ねる、ストレス発散に歌でも歌う。そうしたら間違い無いのか?正しいのか?分からないね、ずっと分からない。でも、どう足掻いても死ぬまで私はこの私と今後ともよろしくお願いするんだから、この本を何度でも読み返して頑張っていこうと思う。この本には、何が正しいのだろうと苦しむ私を救ってくれる宝物のような言葉が沢山、詰めに詰め込まれているのだから。大丈夫、私はまだまだ、生きていける。20代で得た知見をお守りに。


第一章
気に入ったところを抜粋して感想を書いております。

・自信がないからこそ、頑張れる。誰かの文章がすごい、誰かの生き様がすごい、誰かの歌がすごい、是非とも取り入れてみよう。だったり。私は誰かのすごい、に生かされている。だから自信よりも尊敬を常に持ち合わせて生きていたい。

・好きは、共有したいこと。貴方に見せたいこと、貴方と分かち合いたいこと。私にとって好きはそういうものだ。だって好きな貴方に好きな物を好きになってもらいたい。我儘だって?そりゃそうでしょ、こんな所で一人で大騒ぎしてる人間が我儘じゃないわけないだろ。

・私は自分の性分が嫌いだ。どんなに素晴らしいf様が言っていても、引き受けることなんてできない。でも、私がこういう文を書くのが好きなのだって、自己主張が激しいのだって気性が荒いのすら、全部性分。なければ今ここで感想を誰かに共有などしていない。引き受けることはできなくとも、まあ、否定はしないでおきたいですね。

・ずっと好きでいる、なんて誰にも出来ない
ただ、私が幾原邦彦様を知ってからこのかたずうっとずうっと崇拝するように、その人の作る世界を好きでいる事はできるはずだ。だからこそ、私は私の世界を愛してくれる人を見つけたい。私の世界を崇拝して欲しい、そうすればきっと、それだけは永遠だ。どんなに私が汚い人間でも、馬鹿な人間でも、作り上げた世界だけは、愛せるでしょう?

・世間様からはみ出した本当の出来損ないは、どうしたって普通にはなれない。だからこそ憧れる、普通の人。諦めることはできない、ただ普通でありたい平穏でありたい息苦しくなどいたくない。私は私がこんなにも駄目な人間であることを、他人に知られたくなどないです。文字を打てば、書けば鋭く尖った毒の塗られた弓矢のような言葉を何度だって生み出せる私でも、生身の体になってしまえば、普通以下の生き物だ。悲しきかな…早く普通になりたーい…。

・所で若者の皆様、エモいとはなんぞや?私の勝手な思い込みだけどさ、遠い遠いところにある綺麗な何か、それがエモいのかな、多分。そんな事もないかもしれないからエモいってなんなのか教えて…。

・今一番にさっさと死んでしまいたいのに私は痛いのも怖ければ家族も大好きだし友達も置いていけないしやりたい事がたくさんあるから死にたくないや、でも死にたいや、みたいなさ、絶望的な心理状況、断崖絶壁に立たされた時、どうしてますか?私はもう、一人で絶望するまで絶望的な音楽を聴いて底に堕ちまくって気分は悲劇のヒロイン人魚姫、あーあーあー!って泣くんだけど、そうじゃなくて、もしだよ、もし、私に、「何悩んでるの、胸でも揉む?」って聞いてくれる可愛い女の子とか、「そんなことよりも私って超可愛いから夏服を買いに行こう」って連れ出してくれる可愛い女の子とかいたら、どうっすかね。多分、救われる。そう、つまり自己愛強めの素敵な女の子が欲しいです…。自己否定、自己嫌悪に朝から晩まで寄り添われているこの私を、どうか世の中の可愛い女の子様、自己愛で殴ってください。頼みましたよーーー。

・永遠の愛などないんだけどさ、みんな欲しいよね。私も欲しいよ。そもそも永遠って何ですか…?少女革命ウテナを見て、散々永遠とは何なのか、私は考えていた筈なんだが?答えなんてありませんでした。死ぬまでわからんかもね、永遠のものって何なんだろうって。だって地球ですらいつか滅びるでしょ?知らんけど。せめて、好きな作品くらい死ぬまでを永遠と仮定するなら永遠に好きでいたいなあ…。死んだら永遠ですからね、私はそこで終わり、私の愛だけはその先も生きる。ちなみにこの文章もそうですよ、私が死んだって電子の海に、ずっと残ってるんでしょうし。だから言ったじゃん!私の世界を崇拝して欲しい、そうすればきっと、それだけは永遠だ。って!さっき!な!答えあったじゃん…。書いてたじゃん…。よかったな私。

・私に限らず、人は人にされたことしかできないのって当たり前だよね。私ももう成人して暫く経つんだけど、この人はこうされたことがないからこうできないんだ、って気付いたの、最近なんですけど。うける。そんな事もわからずにのうのうと生きていた自分が恥ずかし過ぎてたまらない。私が好きな人に過保護なのは(大きくまとめるとこうなる。)親から沢山大事にされてきた証明なんだろうなと思う。不誠実な事をするのはダメだと思うのも、悪い事をしてはいけないと思うのも、人を無闇に傷つけてはいけないと思うのも、他責には限度がありやはり自分に非がある事も大きくあるのだという事を思えるのも、全ては幼い頃から今に至るまで親が正しく愛を注ぎ幸せに育ててくれたからに他ならない。(自分は総合すれば出来損ないだと思いますが、根っこは別に悪くないと自負しています、それは全て環境のおかげで形成された自己なので、その点については割と自分が好きです。)そして、それは残念な事に、私が出会う全てのものが同じでは無い。ちゃんと理解しないといけないよ、私は、失望する時はちゃんと失望しないとダメなんだって。ちょっと感想から外れました、これは自分を励ましただけです。f様の本の中では、自己を形成する方法として本を読むことがあげられているし、私はそれをしてきたし、今後もしていくんだと思う。好きな人々とおんなじ言葉が使いたい、おんなじ世界を見たい。ただ、自分の好きな本もちゃんと紹介できないといけないね、買った本、すっごいわかりやすく感想文を書けばみんな読んでくれます?怪文書ですみませんねいつも!!!

・一章の感想文の最後にふさわしき、私が泣きながら読んだ部分の感想です。
「実在しない生き物が子どもの心に椅子を作り、それらが去った後に実在する大切な人を座らせることができる」
これはエルマーの冒険を翻訳した日本の児童文学者、翻訳家の渡辺茂男さんの言葉です。とのこと。なんて素敵な一文なんだろう…、あまりの美しさに涙が出る…。
今、行く道に迷い、新しい一歩を踏み出さなくてはならない私。架空の生き物の下に、ずっとなりたかったおジャ魔女に、セーラームーンに、さくらちゃんに、帰った方がいいのかもしれない、他人を求めるより先ず、先にな。迷ってるから私は哲学を吸収したいのでしょう、本を読みたいのでしょう、もう迷いたくない、間違えたくもない、そうなんでしょう。そうしてまた作り直した椅子に私はいつか大切な人を座らせられるのだろうか。あ、まず自分が座って強度を確かめないといけないやつでした。

そんな感じですね。一章、既に私は救われた気持ちでいる。

二章
・所で皆様、自分ってなんの才能もないなーって思った事ありません?意外とそうでもなかったりするらしいよ、この本に書いてある事を読むと。何故なら私は文を書くのが好きだし、苦手ではない。これは幼い頃からそうだった。作文を書けば12枚の原稿用紙が埋まる、そんな子供だった。これは誰かに伝えることのできる技術なんだろうか、誰かの助けになるんだろうか。生まれ持ったものであるなら、誰かに分け与えることなどできないのでは?だがそれはあくまでも技術の話で、私は読んでくれる皆様と心を通わせたい、それが回り回って助けになるのであればそれは生まれ持って与えられた仕事なのだと思う。金もらってないじゃんとかそういう話ではなく。

・騙されたと思ってやってみなさいみてみなさいたべてみなさいそんな言葉は何度も聞いた言葉だなあ。だったら少しは、皆様も周りの奴がいう騙されたと思ってを少しは実行したらどうなんだ。自分のことなんて自分が一番理解していると驕る人間の愚かさと言ったら、目も当てられん。だから私はそうしない。自分のことなんて自分もわからない、わからないから取り入れる、わからないから、知る。騙されたと思って手を取る。私にそれをしてくれた人間は、今までどの程度居ただろうね。

というわけで、上記の様な気持ちになって嫌になった時、最後の砦になるものはなんでしょーか!それは、自分で作り上げたものです。F様の自分で作った砦を死守しろというお言葉には完全同意いたします。私は一時期気が狂った様に己は幸福であると唱えていた時期があった。息苦しくてどうにも生きていけないこのまま死にたい、誰かに迷惑をかける前に、とずっと頭の中でぐるぐると渦巻いていた。相当心が病みそうでどうにかこうにかなりそうで、それを守るための砦が幸福であれ私、と祈ることでした。事実私には私を見守ってくださる方々や、家族や友人もいますし、それだけでただ幸福なことは間違いないんだ。でも、それだけではカバーしきれない絶望があったんだよ、そのときには。だから祈った、毎日毎日毎日。自分様の機嫌は自分様が取りなさい、自分様が死にたいと叫ぶのであれば、幸せだよと抱きしめてやりなさい、それが自分様を大事にするということであり、砦の死守だと思う。

・私は、そうだったのかもしれない。自己清算のできない他者の苦しみに寄り添って変化を齎そうなど、あまりに愚か、馬鹿のすることでしょうね。だから、そうだったのかもしれないとここに残して自戒にする。とびきりの失望を私はもう知っているはずだ。

・再放送のお時間です、自分の機嫌は自分で取りなさい。笑顔で居なさい。ネガティブな所なんて、見せてはいけない。私はそろそろ大人になって誰かを優先できる人間になりたい。ただ、自分の目指す場所さえ見失わなければ、どんなに取り繕っても私でいられます。"好きな人のためなら、それ以外の人への感情なんて問題じゃない。自分なんていくらでも誤魔化せますから。"そう、私の大好きな姫宮アンシーは言った。鮮明に覚えている、透明な筈なのに、私の中に色濃く傷跡の様に残るこの言葉をお借りしよう。好きな物のためなら、それ以外の人への感情なんて問題じゃないんすよ。ご機嫌で、幸せで、その様に振る舞うことが私の目指す場所への近道なら、いいじゃんね。頑張って〜私様〜。

・因みに私は幾原邦彦様の作る世界によって己の哲学を作り上げ粗製乱造の粗製乱造みたいなとこありますが、それでも私は欲張りでそれ以上に救われたいんですよ、だから救いは、私が私の為に、作らなければならない。

・そんなわけで私は私にしかできない事を致しましょう。有象無象ではありますが私はたった一人の私なので…。たった一人で生きてる様な顔でもして頑張って生きて行くので、どうか私を見つけてくださいね、皆さま。

・二章の最後にふさわしい(デジャヴ)切ないお話をしようか。私は今まで、遠方にいる女性とばかりお付き合いをしてきたからこそ、お別れをしたら死ぬまで会うことが御座いません。あの時のあの子は何をしているのだろうと時折思い出すこともあります。波瀾万丈とまで行かずとも、色んな人と出会ってきたのでね、懐かしいな、あのエキサイティングな日々、もう二度とやだ〜って。そんな風に思っているうちに最後にたどり着くこと、死ぬまで会うことはないんだろうな。あの時苦しかったこと、あの時死ぬほど憎んだこと許せなかった事、死ぬまで会えない人という項目を作らざるを得なかった私と女性達。全部痛いまま生きて行くしかないんだよなあ。

三章
・名前のないものに名前をつけて安心したい、この頭から怪文書だの思考だのが止まらないぐるぐる現象に名前をつけたいです。ちなみにこれはルンペルシュティルツヒェン現象って名前らしい。どんな名前だし!言いづら過ぎる。6000文字感想越えてる今の時点で。どんだけ頭の中から文章が止まらないんでしょうか。

・死にたさは、実は常にある。それを口にしないように幸せだけを見つめて生きていたい、そうやって言葉を発した時にね。ところでさ〜。とどうでもいい話をされたいかもしれないね。だって目を背けてたいじゃん、ネガティブからは。一章の感想で書いたさ〜大丈夫?胸揉む?って聞いてくれる彼女が欲しいんすよ、要はな。(欲望しか勝たん♡)

・私は今も誰かを壊している、何かを壊している。そんなことはみんな分かってる筈なんだ。なのに知らんぷりをして生きているのは、私様は私様で精一杯なんだと泣くしかできないからで。その泣き喚くしかない雑魚雑魚な私様を守ってくれているのもまた誰かなわけじゃん。もうやだ〜立て籠りたい〜殻の中で生きていたい〜なのに人を守りたいし人に守られたいし愛したいし愛されたいし好きは極めたいじゃん!もうなんなんだ!キレそう!生きてるだけで偉ーーーい!!!

・言葉になると純度って失われんの?本当にそう?F様が言うから多分間違いない。でも、私にとっては言葉が全てなんだ。会って話すだとか、他人とのコミュニケーションは苦痛なんだよ、会いたい、抱きしめたい、話したい、そんな思いを抱えてもなお苦痛でしかない。矛盾してる?してないよ、だって苦手なんだもん。相手を不快にさせたくないし、不快になりたくもない。分かるわけなかろう、普通の、当たり前にコミュニケーションが行える人間達にはな。こうしてインターネットの海で文字列を整頓させて?整頓させてもないか、なんですか?散らかして?そうすることでしか他人と話せないよ…。私にとって言葉は命だ、命を削ってんだ、受け取れ皆様。三章終わり。次はラスボス、愛についてだ。

最終章
強い人と弱い人、どっちが魅力的ですか?私は前者になりたいくせに、後者を魅力的だと思います。個人の感想です!どんな時も矢面に立つ自分は前者でなくてはならないと思いながら生きていないと勝手に弱くなってしまう。強さとは意識の問題であり、結局私にとっては仮面みたいなもんだ。残念だったな!でも、大切な人の前でくらいは、その仮面を脱ぎ捨てて、繊細で弱くて、ありのままで居たいと願う気持ちだって私にもあるんです。
なーんてな!結局私はある言葉に囚われているんですよずうっとずうっと。大好きな作品、「やがて君になる」の七海燈子ちゃんは言いました。"私のままの私に、何の意味があるの"と。おっしゃるとおりですよ、七海さん。悲しきかな、弱い人間など、病んだ人間など、世間様や他人は受け入れません。私だって所詮はこの様な脳みその中身を上手いことまとめ上げる力があるから、偏屈さを上手いこと飼い慣らして今ここで発表会をできているから魅力的なだけで、何も書いていない、何も伝えようと叫ばない私など、意味のない生き物です。魅力なしです。七海さんの言葉に救われ、囚われ、共感し、今もなお抱きしめているのは、私は人として本当に強い人ではなく、弱い人間である証拠なんだろうね。だって、弱さを見せても好きで居てくれる人なんてどこにも居ないじゃないか。私様を愛せるのは私様だけです。潔くかっこよく生きてゆこう〜!現実はがむしゃらに来るのでね、はい。

・私が目を背けて否定してたもの、否定しなくても良かったのかもしれない、あの時は苦しかったけど、今は風化して、ただの記録になってる。それでも、楽しかった、は確かにあった。だから、あんなに続いてた。戻りたくなんかないけれど、他人と住んだあの時間って無駄じゃないと思いたいよ。

・そろそろ胸が痛い…いつかは終わるもので、終わらなかったことなどございませんでした。愛は不滅ではない、愛は終わるためにあるのだ。私にとっての不滅の愛ってなんでしょ、家族愛、友達を思う愛、そのくらいじゃないですか?恋なんていつかは終わるんだよ、とびきりの失望によってな。

・あーあーあーあー!なんともまあ偉そうに語って!恥ずかしいやつめ私!ところでさ、また、私は主語を失えるだろうか?こうしたい、こう生きていきたい、ここは譲れない、こんなことしたくない、いろんな諸々が崩れてしまって私が誰かのためにまた生きる事があるのなら、それは、主語の消失でしょうね。つまり愛したってこと。ありえないか、この私にそれだけの洗練された無償の愛はもうないんです。アガペー屋さん閉店ですわよ。いやー、愛、無一文!残念無念、来世に期待しようかな。ともかく、最終章に関してはあまりにもリアルに描かれる愛の数々が、まだ少々私にはカロリーが高い、だいぶ苦しい。これを解消する為に買ったのはフロム先生の愛するということ。です。私にはまだ愛の勉強が足りていない様なので、この辺りでフロム先生に頼ってみようと思う。

おわりに。
何一つ、なかったことにはしない。全部、痛いのも、苦しいのも、幸せなのも、甘いのも、美味しくないものも、美味しいものも、なかったことにしたら私ではない。自分にとっての完璧、ありのままではない私は、過去の私が作ってくれるものだから。ありのままではない私、これからも生きるの頑張ろうな。

読んだ自分の怪文書コーナー、これも中途半端。
何者かになりたくてたまらない人生だ、神様になりたくてたまらない人生だ、己の言葉で誰かが救われろ、救われないにせよ少しだけ安心しろ!!!!!だって、こんなに頭がイカれちまってても文章だけは出てくる、苦しい時、ちょっと君も試しにやってみたらいい。癖になってしまうかも。こんな思いだ、こんな怒ってる、こんな悲しい、こんな嬉しい、こんな幸せ。何もかも言えばいい。誰にってそりゃ世間様にです。noteって便利なもので自分のために書いてうおーって騒いで暴れてんのに誰か読んでくれる事ありますからね、超いいよね。言葉の魔法は必ずある、言葉の愛は必ずある、例え破れても、また誰かにそれを向けるしかないよ、生きてるからさ。この本に出会えて感謝、まだ半分しか読んでないけど、一ページ捲るたびに許された気がするよ、共感してもらえた気がするよ、項目によっては涙がでるよ。今私の頭の中にある怪文書は、いつかなにになるかな、最近ちょっと怪文書が収まってたりする。なんだろ、今止まらないのは、もしかしたら別のやつかも。羨望、目標、あとなんか。みたいな。


何一つ、なかったことにはしない。全部、痛いのも、苦しいのも、幸せなのも、甘いのも、美味しくないものも、美味しいものも、なかったことにしたら私ではない。自分にとっての完璧、ありのままではない私は、過去の私が作ってくれるものだから。

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