なぜ「自殺予防」があるのか

大体死にたいと思ってる上白沢葉月@です。

...が、ふと思ったのです。

「自殺」を「予防」する電話があるのはなぜ?

不快になる可能性もあるので見る人は注意です。

実際、いなくなると困るから

シンプル。

例えば、うまくかみ合っていた歯車の一つを抜いた場合。

下手すると空回りして動かないことがあるかと。

そこの人がいなくなるとほかの人がカバーしなければいけなくなるということで仕事や学校等での困るからだというのが一つ。

家族内でもショックを受ける人もいるでしょう

例えば、両親や恋人、結婚している人なら相手の人や子供達にダメージが行くと思います。

死んでしまったら、周りに迷惑がかかるから死ぬな。と世の中は思っていると思ってます。

友人の話。

実際に小学校の友人の中で家庭が崩れてしまった人を知っているから書けるのですが。その人ともはや連絡をしていないため注意されたら消そうかと。

さすがに小学生だったのでそこまで深く聞くことはありませんでしたが、両親のどちらかが自殺してしまった。その場面を見た友人(女子)がショックで泣き崩れたというのを聞きました。

いつも活発で、わんぱくだった彼女。確か外で遊んでることが多かったのにその日を境に教室にいることが多くなった気がします。

最初は、「今日は教室に居たいのかな?」ぐらいの感覚で見てたのですが、二日、三日と教室で静かにいたのを疑問に思ってみてました。

結果として、「外で遊ばないの?」と、無邪気に聞いてみたところ「あそばない」と言い返されて「わかった!」って外にかけて行った気がしてます。

そういう意味では、確かに迷惑は掛かる。

なぜ「予防」しかしないのか

個人的に一番疑問な点がここ。

何で「予防」しかしないのかが疑問で仕方ないんです。

自殺ってweb検索すると

「大切な人からのメッセージ、向き合って生きるその心」
「自殺しようと思っているあなたへ」

みたいなものしか出てきません。

ストレートに言いましょう。

自殺は一つの手段で、止めるものではない。

まあ、たとえば駅の線路に飛び込むだとか。

体に爆弾巻き付けて人が多いところで爆発するだとか。

そういうのは肯定しません。だって、それは迷惑かける。

普通に生きてる人だってゲームで言えば個体値が違うんです。

体力が多い人もいれば少ない人もいる。

頭がいい人もいれば悪い人もいる。

じゃあ、プレッシャーやストレスに耐えられる人もいれば耐えられない人もいるはずです。

なのに、日本は「ストレス耐性」を付けろと言ってくる。

要するに、考え方でどうにかなる根性論を唱えるわけです。

なんですきなんだろねこれは。

一応ここで言っておきますが僕は

「自殺」を推奨しているわけではないです。

否定するのはどうなの?って言ってるだけですので。

自殺を「させない予防」ではなく、「それまでの過去を見る」

僕は一番これを言いたい。

後ろを振り返らないスタイルの人はいいかもしれませんが、

どうしてこうなったか。つまり Why を考えることが必要だと

自殺をする理由が人付き合いが嫌になったから。

ならなんで休憩しないのか というつながりになりますがもう一つ踏み込んでください。

休憩したらどうなりますか?

お金が入らなくなる。

結果として、仕事をしないといけない。

でも、人が怖くて仕事にありつけない。

無限ループです。怖い。

やりたくないからやらない。

単なるわがままになるこの言葉。

でも、今まで走ってた人が

「今は走りたくないから走らない」

って言ったら歩かせてみたり。止まって休憩したりするわけです。

それがたとえレース中とかじゃなければ。

「もう、仕事したくないからしない」

って言ったらそれはそれでいいでしょう。ですがこの世はずっとレース中。

走らないと何も得ることができないものになります。

まるで何かが追いかけてきてるようにお金を稼いで生活するために必要なものを得て。

それが高くなったらもっと稼いで。給料が下がったらもっと他に稼ぐ方法考えて・・・

...なぜWhyを考えないのですか?日本。

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