なにか「得」してるの?という母の言葉に対して
実家に帰るとよく親に言われているのが、それなんの「得」になるの?
僕がカラーコーディネーターの資格を取った時に言われたセリフだ。
それを言ったら僕も親に、あなたは毎日人のために掃除をしているが、なにか得なのだろうか?と言い返したかったが言わないでおいた。
そしたら彼女はこう答えるだろう。「お金」を得ているから得をしてると。
ええ、それはもちろん。お金を得るために頑張ることも「得」だ。お金は人の評価で、やりがいを見出してくれる。あなたのしていることには価値があると思わせ、人の幸福や満足感もお金に代わる。
それは得だと思う。
だけど僕はお金を得られなくても、損だと一概には思えない。
何故なら、たとえ僕がこの分野でお金を稼げなくてもこの分野を楽しむためには勝手に努力をするからだ。
カラオケが上手くなってボイトレ教室に通う……、でもいい。
過程を楽しみたい。過程はどんどん自分の設定したゴールを高くすればするほど、楽しくなる。なぜなら簡単に出来てしまうと物足りなくなるからだ。
僕が広げているのは、得ではなく「得意」だった。
僕は思うのですが、得の為だけに生きると、同時に損も発生しやすいと思うのです。だって、それは得をゴールにしてる訳なので。
その生き方は否定しませんが、自分が得だと思えばもうそれで人生まるまる得なのかもしれないですよ。
生物的に、芸術的に言えば損も得もない。酸素があるから息をする。そもそも勉強に損などあるのだろうか…?結局、自分自身の深く知りたい欲が満たされれば、得なのだ。
もっといえば得なんて、人一人の短い人生の経験から導かれた末の主観や観念でしかない。結論からして、誰かの得には縛られなくてもいい。
もちろん自分がしたことが誰かの得になれば幸いだが…、そこはお金に変わることだけでなくても良いと思っている。日々出来ることをする。
その上で、損得や打算が入り得ない人生の豊かさをも追求したい。
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