僕なりにデフフッドごっごしてみる

一応、偉そうに作文してみる

「聴覚障害者」という病理的視点から脱却して、日本手話を日常言語として用いる「言語的少数派」という社会的文化的視点へ転換すれば、「ろう者とは、日本手話という、日本語とは異なる言語を話す、言語的少数派である」(*1)と考えることができる。「ろう者自身を障害者として卑下する必要がまったくなく、ろう者は手話を積極的に活用する権利がある」という主張は、ろう者の自己肯定感を促し、ろう者の間で大フィーバーが起こった。

また、「ろう者になるための自己探求過程」として「デフフッド」なる言葉が提唱された(*2)(*3)。ろう者は、マルチリンガル・マルチカルチャーに挑みつつ、聴者中心の社会に迎合しすぎないよう留意しながら、自分らしさを探究し続ける存在というものである。

さらに、音声の日本語と同様、日本手話の理解も左脳優位である(*4)(*5)ことから、日本手話も高度な言語であることが示唆されるようになった。その示唆は、日本手話を用いて、過去を回想して語り、今を語り、未来を展望して語ることができ、感情を共有し、歴史をつくり、学問をつくり、社会をつくることができるという希望をもたらす。

しかし、教育現場や社会では依然、良質な手話言語資源へのアクセスが限定的であり、日本手話を習得できる基盤が弱く、日本手話をネイティブに習得したろう者は多くない。聞こえや発声の差、生い立ちの違い、人工内耳装着を促す医療機関、様々な家庭事情などにより、聴覚障害者でありながら、第一言語として日本手話を習得していない人が後を絶たないのは必然的としか言いようがない。

日本手話を習得していない人が表出する手話のことを、「日本語対応手話」「手指つき日本語」「声付き手話」などと呼び、これらは「手指を用いて視覚化した日本語」であって「手話言語」ではないという指摘がある。そういった指摘は負の感情を招くことがあり、その指摘をキャンセルする論争が度々起こっている。

このように、言語的少数派であるがゆえの試練が続くのだが、それらを乗り越えるべく、社会へ働きかけ、社会との融合を図り、社会と協働できる場を探ろうとする機運を高めるには、社会横断的な取り組みを牽引する組織づくりが有効である。

しかし、我が家の育児では...

前節では偉そうに作文してみたものの、聴覚障害を有する子の育児を含めた僕の体験を振り返ると、生活を通して首尾一貫して日本手話を使うのが難しかった。

我が家は親子全員、聴覚障害だが、聞こえの差がそれぞれ違う。僕は補聴器を使わないほぼ全聾のEarly Signer(*6)、妻と子は残聴能力があり手指日本語話者である。

また、僕は、ダブルリミッテッド・バイリンガル(*7)であり、日本手話も書記日本語もそこそこに扱えるが、年相応に流暢に扱うことはできない。僕の言語能力は不完全であり、「ダブルリミッテッドなりの日本手話」、「ダブルリミッテッドなりの書記日本語」といった感じになる。

まず、育児では、ネイティブとして日本手話を習得する意義を認識していたため、子が幼少時のときは、日本手話で子との会話を楽しみ、日本手話を使った絵本の読み聞かせも実践した。

しかし、子が小学生に上がって以降、学年が上がるにつれ、子に対する僕の手話表出が選択的になっていった。日常会話では日本手話で伝えるものの、勉強や専門的な話題では、僕の脳内では日本語と手話間をうまく翻訳できないこと、書籍やテレビの字幕を引用した会話が多く、日本語から借用した指文字やマウジングが増え、次第に手指日本語を多用するようになった。僕の手話単語の語彙数が少なすぎるのもネックであった。

しかし、我が家は手指動作がメインのデフファミリーであり、家庭内会話は特に支障はなかった。また、子が大学入学してからは、学問を見る機会が減ったため、僕は日本手話中心に回帰しつつある。

子は幼児期は僕と似た日本手話の表出ができていたのだが、親以外のろう者と触れ合う場が少なったこともあり、親の影響をもろに受けた。結果として、現在は手指日本語の話者である。

とはいえ、子には、手指日本語と日本手話の違いは簡単に伝えてきたつもりなので、将来、デフコミュニティに自発的に参加する機会を持てば、日本手話を表出できるようになるかと思う。


(*1): 「ろう文化宣言」,木村晴美, 市田泰弘, 1993
(*2): 「Deafhood」, 2003
(*3): 「デフフッドを導入したろう教育の実践。」, 松崎 丈, 2019
(*4): 「Language Acquisition and Brain Development」酒井邦嘉, 2005
(*5): 「言語の脳機能に基づく獲得メカニズムの解明」, 酒井邦嘉
(*6): Early Signerとは、ネイティブ言語として手話を習得できなかったものの、生徒時代にろう学校などで手話を習得した人を指す
(*7):  ダブル・リミテッド・バイリンガルとは、どちらの言語も年相応のレベルまで達していない状態をいう

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