16歳になるということ

1/28で16歳になる。喜ぶべきか。やったぁ。

15歳の1年間は激動の毎日だった。高校に入学したことが1番の理由だと思う。
今まで小学校も中学校も、家から5〜10分という近くの場所にあったから、こうして毎日駅に行って電車に乗り、別の場所で日中を過ごしていると思うと不思議な気分になる。
窓の外を見ていても緑は少ない。道も道路も狭くて、車道の横を通ることすらある。知らない場所だったはずなのに、どうしてか私は毎日何も考えずとも住宅街を通り抜けて学校へと向かっている。
当たり前が変わったことに対して嬉しいと思うことも、悲しいと思うことも無い。思い返せば中学時代も恋しい。普段は毎日を過ごすことに必死で、過去を振り返ることもあまり無いけれど。
中学時代に最も仲の良い友達がいた。小学校からの友達だったから距離感も程よくて、それでもたまにすれ違うこともあったりしたけど結局大好きな友達だった。私の学生生活を語る上で欠かせない人物である。それは今も。
たまに待ち合わせて会うことがある。学校の帰り。休日のおでかけ。LINEの会話も頻度は少ないもののなんだかんだ続いている。
私の交友関係の中で最も重要な友人である。私の全てを知っていると言っても過言ではないくらい、私は彼女とたくさんのことを共有してきた。面と向かってあなたが1番だと言えるほどに大切な、たった1人の友人である。元々友人が少ない故に彼女への信頼はひどく重たいものになってしまうが、それはどうしようもないことなので許してほしい。

オモコロにハマった年でもあった。
元々芸人好きで面白いことに目が無かったため、ハマるのも必然的だったように思える。
オモコロにハマったことによって色んなオモロを浴びて、自分自身のお笑い感について考えることもあった。
面白い人間になりたいという執着心はずっと前から持っていた。きっかけは覚えていないし、どうして面白くなりたいのかすら自分の中で明確ではないのだが、どうしてか笑いに関する執着を拭えずにいる。
オリジナルはおろか、他人を模倣した笑いですら自分を通すと面白いと思えなくなってしまう。
思えば私はずっと自己肯定感が低い。それは幼少期から。いつの間にか自己否定のクセがついていた。良くないことだな、とは思いつつも傲慢であるよりは良いと自分に言い聞かせて、自己嫌悪に苛まれながら16年も生きてきた。
今年は自分を肯定できるようになりたい。自分に素直になれるようにしたい。
それでいつか、自分が生み出した何か、例えば笑いだとして、それを面白いと自分で笑えるようになりたい。

今年の目標はこれです。

自己を認める。


なるべく幸せな1年でありたいね。





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