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冷蔵庫を買い替えた

数日前から機能しなくなっていた、我が家の冷蔵庫を買い替えた。

親に聞けば、もう10年ほど使っているような気がすると言っていた。
思えば私が知っているのはこの冷蔵庫だけで、つまりは私が生まれた頃からこの冷蔵庫を使っていたのだ。そう思うと随分頑張ってくれていたのだなぁ、と切なくなる。

買い換える前、冷蔵庫にはたくさんのものが貼ってあった。水道屋のマグネットから、私の英検の受験票、重要な書類など。それらはアンパンマンのマグネットや、私が幼い頃に粘土で作ったアイスのマグネットで付けられていた。
使い続けるにつれ当たり前となっていたそれらは、私の過去の一部であった。それは確かだった。

幼い頃から工作が好きだった。アイスのマグネットを作ったのは小学生の頃だったような気がする。その時は紙粘土で遊ぶことにハマっていた。
親と行く百均でお菓子と紙粘土をねだり、家に帰って色んなものを作った。
YouTubeで見た通りに、おもちゃのスプーンで型を取り、爪楊枝でマカロンのピエのようなものを作り、所々をピンセットで摘んでアイスの質感を出した。
手先が器用だったのもあり、アイスはとても可愛らしく、それなりのクオリティを持って完成した。両親は凄いと私を褒め、マグネットを埋めて冷蔵庫に飾ってくれた。
そんなひと時の記憶が、冷蔵庫にあったマグネットには残っていた。クリーム色の表面に、色とりどりに並んだアイスクリームたち。レモン味、オレンジ味、ホッピングシャワー。当時の自分の好きを詰め込んだそれらは、5年以上私の側で輝き続けていた。

新しい冷蔵庫が届いたのは今朝だったらしい。
らしい、というのは私がまぬけにも昼まで寝ていたため、その瞬間を見ていなかったのだ。
私が見たのは買い換える前の、限りなく空に近い冷蔵庫と、突然現れた見知らぬ冷蔵庫だけだった。
銀色に光るそれは、もちろん表面に書類やマグネットなんてものは付いていなかった。新品であることを象徴する輝きを持って、ありのままの姿でそこに立っていた。少し背の低い、クリーム色の冷蔵庫があるはずだった場所に。

正面にあるはずだった取手は下にあった。
簡単に開くはずだった扉はひどく重かった。
ぼんやりと光っていたはずだった中は、眩い光となって私を驚かせた。
パタン、と軽い音と共に閉じるはずだった扉は、ゴウン、と低く重たい音を持って閉じた。

新しくなったなぁ。そう感じた。その時悲しみは無かった。事実として目の前にあるだけだった。

数回使えば新しい冷蔵庫には慣れた。まるで以前からあったように、当たり前にお茶を取り出して閉める。私はふと怖くなった。
あのクリーム色の冷蔵庫は確かに存在していた。
その存在が、今や私たち家族の記憶の中のみとなって、いつしか消えていくと思うと怖くなった。

私が作ったアイスのマグネットはどこかへ消えていた。この新しい冷蔵庫を使い続ければ、私は冷蔵庫にアイスのマグネットがあったことすら忘れてしまうのだろうか。そう思った。
私の大切な思い出が、過去が、こうもまあ簡単に消えていくと思うと悲しくなった。
自分が作ったものを親に見せて、褒められて、家に飾られるような、そんな幸せな過去の欠片を忘れたくないと思った。
だからこうして書き残しているのだが、いつしか私がこれを見返した時、私の過去を文字としてしか認識できなかったらと思うと悲しい。
あの時こねた紙粘土の感触をまざまざと思い出してほしい。いくら嫌いだったとて、過去の私の存在を消さないでほしい。

今回の変化は、私がそれなりに年月を重ねたことを感じさせた。今まで感じることもなかったノスタルジーというものが生まれた。
私が歳を取れば取るほど、この家の中にあるものは新しくなっていくのだろうな。
禿げていた皮のソファーも気付けば布のソファーに変わっていた。
きっと今までも私が感じていないだけで、たくさんの変化があった。その変化を感じられるようになった今、過去の自分も愛せるようになりたい。

次に変わるとしたら洗濯機だろうか。
回る度にガタガタと爆発寸前の音を轟かせている洗濯機を思い出しながらそう思った。

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