私はZ世代

何気なく見ていたTwitterで、こんなものが流れてきた。

画像1

これはZ世代の人が映画などを倍速で視聴する、というニュースの一部。
まずZ世代とはなんだろうか、と調べると2000年以降に生まれた世代を指すらしい。おや、私も含まれているじゃあないか。
それにしても倍速で見るなんて、もちろん私はやらないし、周りでやっている人も聴いたことがない。
これはごく一部しか当てはまらないだろ〜、と画像をスクロールして、ふと思い出した。

私は映画やドラマを見ることが好きではない。
なぜなら、感動して泣くのが嫌だから。

おや?これは感情を揺さぶられたくない、というZ世代の一部に当てはまっているのではないか?
そう思って、少し自分のことを考えてみることにした。

なぜ私は泣きたくないのか

まず映画館で見た場合、恐らく友達や家族と行くだろう。映画を見て、感動して泣く。これは別に悪いことではないだろう。それなら一体何が嫌なのか。
主な要因は泣き顔を見られたくないことだ。
せっかくオシャレをして、メイクもして、楽しく遊んだ後に涙でぐちゃぐちゃになりたくなんてない。画像にもあるように体力も使うし、なにより心への負担もあり、他人に泣き顔を見られるという羞恥心との戦いもある。
もう想像するだけで気が重くなる。

私にとって泣くことはとても辛いことだ。

幼い頃からよく泣く子供だった。現在はマシになってきたけれど、やはりどうしても変わることができない部分もある。
状況も場所も関係なく泣いてしまうのだ。私以外誰も泣いていなくても、たくさんの人がいる場所でも。泣く時は周りの空気なんて読めやしない。だって悲しいんだもの。私だって別に泣きたくて泣いてるわけじゃない。涙をコントロールできるような女になれたらそれは武器となるだろうが、今の私では泣くことはただの弱点なのだ。

中学生の頃、仲のいい友人が休み時間に保健室へ行くというのでついて行った時の話である。
勉強面での悩みを養護教諭に話して一件落着かと思いきや、ついでに私も相談したことで号泣してしまった。
一度泣いてしまうとしばらくは止まらない上に、人前では見せられない顔になってしまう。熱があるみたいに頭がぼう、として勉強どころではない。
結局、相談しに来た友人は教室に戻り、私は下校まで保健室で休んだ。教室へ戻る時の友人の困惑したような、心配したような顔を覚えている。

泣いて良いことなんて無い。私は苦しくなるだけだし、周りの人は困るだけだ。

結局何が言いたいのかと言うと、私は意図して泣くことが無い。だからツイートの画像にあるように「予想もしない展開は不快」というのに繋がるのだ。予期せぬ涙は「ああまた泣いてしまった」という私の自己嫌悪に繋がり、「どう接すればいいんだろう」という相手の困惑にも繋がってしまう。

結局私もZ世代なのだ。きっと映画やドラマを見れば、感動のシーンを倍速で視聴するだろう。なぜなら感情を揺さぶられて泣きたくないから。何がZ世代をそうさせているのだろうか。やはりインターネットの普及が深く関わっているのだろうか。

友人との話題作り<泣きたくない
完璧にこの状態である私は心境の変化か何かが無い限りドラマや映画を楽しむことはないだろう。もっと心が落ち着いて、気楽に娯楽を楽しめるようになれたら良いな、と思っている。あるいは、感動して泣くことを辛いではなく楽しいと思えるようになれたら良いな。

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