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国歌「君が代」考

— 「さざれ石の巌となりて」について —


343 わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで
読み人しらず

これは日本国国歌「君が代」の元になった言わずと知れた古今和歌集巻第七、賀歌の貫頭を飾る一首である(古今和歌集は衆知の如く醍醐天皇の勅命により当時漢詩に押され忘れさられようとしていた大和歌を復興すべく10年の歳月をかけ編さんされた歌集である)。ところでかつて評論家の吉本隆明は日本国国歌「君が代」の「さざれ石の巌となりて」の箇所に触れ「理屈に合わぬ変な歌だ」と揶揄したことがある。つまり、吉本はこれを例に「論理的、科学的矛盾」をわきまえぬ古代日本人の“稚拙さ”を嗤ってみせたのだ。ともあれ、この和歌に対する解説、たとえば岩波文庫版「古今和歌集」の佐伯梅友の注解「小石が成長して大きな岩になり、それに苔が生えるまで。長い年月を具体的に言おうとしている言い方」を見ると、さもありなんとも思える。
しかし、そもそもこの歌の大意は大いなる稔りを斉らす時の「流れ」を「さざれ石の巌となる」に仮託し、目出たさを祝い寿いでいるのであり、そこには当然ながら現代人の考える「成長」に関係する時間は見られないのである。成長という事で言えば「さざれ石が成長し巌となる」可能性は明らかに有り得ない事である。しかし、ここでは理屈に合うも、合わぬもない、「さざれ石」が経験するであろう理(ことわ)りされた「時の流れ」、つまり長い年月の積み重ねが斉らす結果の象徴として願望を伴った「さざれ石が巌となる」事を架空し、その「目出たさ」を祝おうとしているのである。
つまり、漢詩に由来する「白髪三千丈」式の誇張表現も充分理解していた(当古今和歌集中の漢文で書かれた「真名序」には「砂長為巌之頌」なる一文がみえる)古代日本人はそこに内なる巨岩信仰に通ずる信条の一端を重ね合わせ、それを常とう語化させたのである。さすれば、それはあうんの内に古代の人々の間に定着した「わが君」のそして国のいや栄を讃える誰も真にうける事のない「具象化」をともなわない修辞的表現であるということに落着し、話はここで終ることになる。
しかし、今ここに現代人の吉本隆明がそれを改めて非科学的として嘲笑した時、明らかにそこには古代日本人が予想だにしない「時間の創作(可能性の差先取り)」がなされているのである。
吉本は、その後半生アナーキスト的な振るまいをみせているが、元来の彼はマルキストである。科学的社会主義を標榜するマルクス主義は、「時間の製作」をその中心に据えた哲学であり、それは他稿でも述べたように資本主義の「時間の創作」に対するアンチテーゼとして生まれたものである。いずれにしても吉本が時間の呪縛から逃れられない人間であるという事は確かである。明治以前の日本の歴史に西洋で言われる所の観念化された時間は見られない。古来、日本民族は、「創作された時間」が持つ「可能性の先取り」と関係を持たない、そしてそれを必要としなかった民族である。万葉集巻第一の25に天皇御製の詞書きを持つ次の歌がある。
み吉野の御金の獄に 時なくぞ雪は降りける
間なくぞ雨は降りける その雪の時なきがごと
その雨の間なきがごと 隈も落ちず 偲びつつぞ来し その山道を
この場面に作者が観ているのは時間ではなく「時」を「間」を置かない「流れ」である。それは「時なく~降りける」「間なく~降りける」という積み重ねられた間断のない時の、間の「流れ」である。
そして、この作者が眺めみる「流れ」は作者自身をして「時間の想作」をよび起させるのである。「時間の想作」は「道具」として人間の手元に置かれる西洋人間社会に見られる観念化された「創作された時間」とは異なり、それは理(ことわ)りされた「流れ」の内に積み重ねられた時を、間を想いみる日本的感慨によって呼び起されるのである。この歌の場合、それは「隈も落ちず」の一語にも及んでいる。作者は移り行く「隈」を「時」と同じ「流れ」の内に想いみる、「時間を想作」しているのであり、ここには「可能性を先取り」した「時間の創作」はうかがえない。それは本題の「さざれ石の巌となりて」も同じである。佐伯梅友が言うように「小石が成長して大きな岩になる」ならば、その小石はどこからくるのか、無論それは「巌が崩壊して小石になる」のである。ここに、あえて小石の成長(可能性の先取り)を人間が現実のものとして主張するのであれば、そこには一貫した創作された時間が要請される。しかし、「巌→小石」にそれは成立しない。巌は、風、地熱、圧力といった外因を受けて「自(おの)ずから」なる時をして崩壊し小石になるのである。そこには時間は無く誰をもってしても何をもってしても防ぎえない厳然とした自然界を貫く実存する「時の流れ」だけがあるのである(地震の予知、予報の困難性が良い例)。
では「小石→巌」はどうか。植物のように明らかに「時に順う生長」という実存を持さない小石、その小石の「小石→巌」にあえて植物同様の生長を仮空するというのであれば、小石には実存に代る創作された時間にくくられた成長(可能性の先取り)によって巌になるというありえない事が改めて説明されなければならない。つまり、「小石→巌」にみるべきは時間ではなく植物に同様する時に順う「時の流れ」という実存なのだ。
要するに、人間が「さざれ石の巌になりて」にいだく違和感は二つあるのである。一つは「小石が巌になる」という「科学」的真理の立場に明らかに反する形而下における“物理的不可能性”に対してであり、もう一つは小石には植物と同じように形而上の成長に関わる時間の存在は見られないという極めて当たり前の事実に対してである。さすれば「小石が成長して巌になるが明らかに不当であるとすれば、そこに時間は存在しないとすれば、「『時の流れ』が斉らす実存により巌が崩壊し、散じて小石になり、その散じた小石が集合して巌になる」が最も論理的に正当な答となるのである。
この論理的に正当な答えは、ここにみる「散じた小石」が「さざれ石」であるという事に正当性を与えるのである。何故ならば「さざれ」には「小さい」の他に「細(こま)かい」というニュアンス、意味合いがあるからである。
つまり、歌中にいう「さざれ石」は「散じたこまかい小石」であり、それが寄り集まり、巌となるとしても、古代日本人にとって、そこには何等の矛盾も存在しないのである。巌の崩壊にともなわれ散じた一塊の小石が成長し巌になるのではない。「巌は時(時間ではない)に崩壊して小石になり、その小石は『時の流れ』という実存によりもたらされる様々な外因を受け寄り集まり代謝し巌になる」のである。
これは科学的に充分説明しうる。鉱物学的に要約していえば、マグマから噴出した火成岩、それらが堆積してできた堆積岩、そしてこれら火成岩、堆積岩が水、熱、圧力等様々な変成作用を受けてできた変成岩という変容がある。つまり、マクロ的に見ればくり返し、くり返されるそれぞれの変容の間に「小石が集まり巌となり、その巌が崩壊して小石になる」は、極めて本質的な自然現象である。
目を宇宙世界に転じてみよう。「一塊の小石が成長して巌になる」は到底ありえない話である。しかし、「さざれ石が寄り集まり巌になる」は宇宙を構成する地球を含む多くの星達が宇宙に散在、漂う大小様々な塵石の集合、分裂、分散によって生成されたとする科学的知見によってそれは肯定され、裏付けられているのである。宇宙で展開されるこの人類とは全くかかわりを持たない「集まり散じ、散じて集まる」時の流れが引き起す無機質な動きが宇宙転生の実相であるという事を古代の日本人は経験的に感じとっているのである。
一方、人間は俯かんされた何億光年という時間スケールの宇宙に成り代わって自らの地球世界を眺め見た時、そこで創作された時間がいかに無意味、無力なものであるかを身をもって思い知ると同時に、皮肉にも人間はその時間の中でしか生きられない生物なのだという自らの宿命についてあらためて気づかされるのである。
ともあれ、以上述べてきた事は、当古今和歌集の冒頭の「仮名序」を読めば全て納得、理解できるのである。そこには「かく、この度集めえらばれて、山下水の絶えず浜の真砂の数多く積もりぬれば、今は飛鳥川の瀬になる恨み聞こえず、さざれ石の巌となる喜びのみぞあるべき」とある。つまり「仮名序」の作者は、「色好みの家に埋もれ木の人知れぬ事となりて、まめなる所には、花すすき穂にいだすべき事にもあらず」程に散在し忘却されんとしていた歌(さざれ石)を寄り集め積み重ね、今こうして古今和歌集(巌)として作り終えた事、それは正に「さざれ石が巌となった」という事であり、その喜びと感慨は一入である、と言っているのである。
つまり、古代日本人は「さざれ石の巌となりて」について、そこに有りえない一塊の小石の時間的成長をみていたのではなく、「さざれ石」が悠久の「時の流れ」のもと集まり、積み重ねられ代謝し巌となる、それが宇宙転生の実相である事を心象していたのである。一方、科学の名を借りて「時間を創作」する吉本隆明は、その何はばからぬ現代人の目線によって「読み人しらず」を見る事でその稚拙さを嘲笑したのだが、「読み人しらず」は極めて当たり前の事を言っているのであって、古代日本人の心象を理解し得ない吉本こそ、その稚拙さ浅はかさを笑われるべきであろう。
この「さざれ石が巌となる」と意味内容、着想を同じくする日本の古来からの俚諺に「塵も積もれば山となる」がある。これを踏まえたと思われる記述が当「古今和歌集」の「仮名序」中に見られる「高き山も麓の塵土よりなりて天雲たなびくまで生ひのぼれ・・・」の一文である。又「梁塵秘抄」第一巻貫頭には、長歌「そよ君が代は千代に一度いる塵の白雲かかる山となるまで」がある。更に時代は下って江戸時代の石田梅巌の「斉家論」にも同様の記述が見られるのもこうした俚諺は日本民族が世々語り継ぎ、言い継ぎきたものである事がわかる。
「さざれ石」がそして塵土がいや高く積もり生いのぼり出来上がった巌や山が象徴しているものは何か。それはこの列島に住する人々(さざれ石)が和となり千代に八千代に寄り添い作りあげた“大いなる和の国”、大和(ヤマト)日本国である。日本国国歌「君が代」は、聖徳太子の十七条の憲法に見られる「和の文化」、つまり和を国の礎とする日本国の意味的象徴として、奇しくも存在しているのだという事について今日の日本人はあらためて大いなる思いをいたさねばならないのである。

<余談>
戦い終えて立ちあがる
緑の山河雲晴れて
今よみがえる民族の・・・・・
長い夏休みを終え登校する中学生の私達を待ち受けるのは、校庭に大音量で鳴り響く上記の歌を背にした来たる秋の‘‘大運動会‘’に向けての予行練習である。当時の私はこの歌の存在が何を意味するのか皆目知るよしもなかったのであるが、歌詞をそらんじる程に聞かされたこの歌は戦後間もない1951年に日本共産党の影響下にあった日本教職員組合(日教組)が今だ国旗(日章旗)そして国歌(君が代)に明確な法的根拠が無かったのをいい事にこれを逆手にとって「君が代」に代る新国歌を臆面もなく鳴りものいりで公募し‘‘選定’‘した(「国旗及び国歌に関する法律」は1999年8月13日に成立した)のが上記の歌「緑の山河」であるという事を私が知るのは大分後である。
つまり、ここに日教組は「緑の山河」を国歌として日本国民に広く知らしめ定着させる為には学校という彼等にとって干渉可能な教育の現場を最大限利用し、この歌を浸透させる、それが最良の策である事に彼等は気づいたのである。
さりながら、賢明な日本国民の心に深く秘められた国家「君が代」への熱い思いは彼等の卑劣な策略を前にして何ら揺らぐ事はなく、その目論見は破綻し、かの「緑の山河」の命脈は、今や日教組の組合歌として定期大会の冒頭で歌われるという極めてささやかな一事をもって尽きるのである。