2020年1月京都旅行 広隆寺
2020年1月京都旅行 広隆寺 です。
大覚寺の次は広隆寺の案内をしてもらいました。
ここも大覚寺のときと同じようにあまり写真を撮れなかったので、同じように案内時の説明や前後に調べたことを合わせて文章にしてみます。
調べる前までは、このあたりには子供のころにあこがれの時代劇の撮影場所「太秦の映画村」に連れてきてもらった記憶・イメージしかありませんでした。
調べてみると、まずこのお寺は秦氏の氏寺で京都最古のお寺で最初の(彫刻の?)国宝指定の弥勒菩薩半跏像があるお寺のようでした(ほぼWikipedia調べ)。 お寺は聖徳太子の側近だった秦氏の秦河勝が建てたとかなんとか。 秦氏って何?と、一緒に旅行した歴史マスターに聞いたところ、(都になる前の)京都を拓いて都を京都に誘致したような一族のイメージだな~、とのこと。 ぼんやり名前を聞いたことのあったような、なかったような秦氏、スゲーやん、となりました。 松尾大社や伏見稲荷が作られるときにも関わっているよう。 渡来系の(自称秦の始皇帝末裔の?)一族のようでした。
さらに少し自分の趣味的なことも調べてみると、秦氏はお菓子の神様(というよりは橘のもつイメージ?)との関係も浅からぬように感じられる一族のようでした。
元々は内裏があったあたりは秦氏の邸宅が元になっていて、内裏の紫宸殿や、前回の大覚寺(元は嵯峨天皇の離宮)の右近の橘は、そこから一緒に引き継がれてきた説もあるようでした。 また、お菓子の神様の持ち帰った橘が植えられた伝説のある橘寺には(秦河勝が仕えた)聖徳太子の生誕地だったという寺伝もあるようでした。
他にも、橘氏の梅宮神社には前回の大覚寺の嵯峨天皇、檀林皇后が祭られていて、秦氏が神職をつとめたり、藤原氏が管理をしていた頃もあったようです。 檀林皇后が橘氏の出身で、藤原不比等の奥さんから藤原道長のおばあちゃんまで女系の橘氏は藤原氏にとっても縁起のよい存在だったりしたのかも。 ついでに秦氏、橘氏はお酒製作仲間としても関係があったのかも。
お菓子の神様(田道間守、三宅連の祖で屯倉の管理をしていたと古事記にある?)が、その橘氏(元の県犬養氏も屯倉の管理に関わっていてどこかで接点あったかも?)と実際どのくらい関係があったかは微妙ですが。。。 実際、檀林皇后が自分のとこ以外は橘姓は名乗るな的なことやったという話も見かけたので氏族としてのつながりはそんなではないのかも。
かわりに橘のイメージには、先進地から先進地の文化や技術をもってくるでー、渡来人とのネットワークも使って最先端のことやってきまっせー、といった強いイメージが含まれていたのかもしれないなー、といろいろ空想・妄想がはかどりました。
前回の大覚寺のときの妄想の続きで、お菓子の神様にイノベーションとSDGsの神様のキャラクタを加えたのにさらにダイーバーシティの神様の性質も加えられるかも、とオモタ。
そういえば、何の話をしていたっけ?
広隆寺の話からかなり外れてきました。 さらに外れそうなのでそろそろまとめにしますw。
前回の大覚寺と今回の広隆寺で、(自分で旅行前後に調べたこと含めて)結果として京都のルーツ的なことに触れることができた気がしました。 そういえば、だれがこの観光ルート企画したんだろ? 案内してくれたタクシーの運転手さん? 一緒に旅行した歴史マスター? どちらにしろ、ほとんど興味も知識もなかったお寺でしたが、楽しませてもらいました。
特に、吉田神社でお参りするだけの予定だった田舎のお菓子の神様が、調べれば調べるほど京都のいろんなところに顔を出してくるようで楽しかったです。 これまでは自分の中ではただのユル神だったのにw。 今度から京都で橘の存在や名前みかけたら、お菓子の神様を想像するようにするw。
以下のサイトを参考にさせていただきました。
秦河勝
秦氏
「こだわりの京都観光案内」
「橘」姓と秦氏
橘について
関連note
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?