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自己紹介

Yuooshioです。

今日は簡単な僕のこれまでの紹介をします。

幼少期

小さい頃からよく人と話す子供だったそうです。町で出会った初対面の人にもズケズケ話に行ってよく親を困らせたとか。
家族で週末は日本科学未来館に行って、一日中夢中で遊んでました。

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小学校

この頃は勉強が楽しくて仕方なかったです。(戻りたいですね・・・)
文章を書くのが好きで、学校の作文が苦になったことはないですね。
小学5年生から都立中高一貫校の受験を決めて、たくさん勉強しました。
友達ともっと遊びたかったかもしれません。がんばった甲斐があって学校には合格しました。

南多摩(中学生)

晴れて入った学校は同じく八王子にある南多摩中等教育学校。
この学校の中等部一期生として入学しました。たくさんのいい友達と先生に囲まれて過ごしました。
しかし、周りのみんなが非常に優秀で、勉強の成績はドンドン落ちて行きました。僕自身の成績を周りと比べてかなり苦しみました。。。。
代わりに、僕の人生を激変させるものに出会ってしまいます。
和太鼓です。当時部活動として始めた八丈太鼓にどハマりしてしまいます。

南多摩(高校生)

高校生活は本当に和太鼓一色でした。地域のお祭りやイベントをこなし、一期生として部活を大きくしていく感覚が最高に楽しかった。
一方で、部活動以外では周りのみんなが大学受験を意識し始め、自分だけ取り残されていく感覚がありました。自分の将来が心配になって、高2の冬くらいからしばらくの間学校にはいけませんでした。自分の部屋で塞ぎ込んで教科書やノートは破ってしまいました。代わりに本を読み漁りました。有名なビジネス書「7つの習慣」にであったのもこの時で、自分が思う最高の生き方として「愛のある和太鼓演奏者」として生きようと誓います。学校に戻った時に皆んなに心配をかけたことを後悔しました。
みんなが大学受験に本気なように、僕は本気で和太鼓の道を進もう。
卒業後の進路は大学ではなく「鼓童文化財団研修所」に決まりました。
多くの友人がこの進路を応援してくれました。

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鼓童文化財団研修所

鼓童文化財団研修所はプロの和太鼓芸能集団「鼓童」のメンバーを2年間で育成するための研修所です。佐渡島の柿野浦という村の山奥で20歳前後の若者が約二十人で共同生活をしています。毎朝のランニング、朝晩の稽古。農作業。太鼓以外にも唄、踊り、笛、茶道・・・忙しく目まぐるしい日々でした。一日中正座で座ったり、吹雪の中を上裸で走ったり、ドブまみれになったり・・・どれも厳しいことばかりでしたが不思議とどれもいい思い出です。しかし残念ながら僕はここで生き残ることができませんでした。結果、研修所では2年生になることはなく。東京にもどってきました。

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増田塾(浪人)

東京に戻った僕は両親と相談し「大学受験」にチャレンジすることになります。
ここで高校時代の「勉強ができない」というコンプレックスを払拭し、佐渡のみんなも見返してやろう!!と思ったのです。牢屋塾として有名な増田塾に入り、1日13時間勉強しました。もちろんきつかったですが、研修所の厳しさを思い出して「まだまだ!!!」と気合を入れながら机にかじりつきました。第一志望は早稲田大学でした。どんなに模試の判定がEEEEEEと並んでも気にしませんでした。常に全力しか出していなかったからです。だんだん成績も上がってきてC判定やB判定も出るようになりました。しかし、第一志望の夢は叶わず、第二志望の青山学院大学に決まりました。しかし、不思議と「悔しい」などとは微塵も感じず、ただただ受け止めることもできないほどの「達成感」が広がっていました。

青学1年前期

夢のキャンパス生活は僕が思っていたものとは違いました。青学の相模原キャンパスは本当に綺麗なところで最初見た時には感動しました。「この綺麗なキャンパスで4年間過ごせるのか・・・」と。しかし、ただただ時間が流れていく感じは本当に堪え難かったです。何か面白いことはないか?色々なサークルを周り、授業とバイトを本気でやって、自分の太鼓チームも作りましたが、研修所や浪人時代のような「ワクワク」はありませんでした。そんな折友人がUAE(アラブ首長国連邦)のドバイでの半年間の和太鼓演奏のインターンを紹介してくれました。僕はすぐに大学に1年間の休学の手続きを済ませて準備を始めました。と同時に和太鼓奏者としての活動はここで最後かもしれないと思っていました。

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Global village Dubai 

ドバイではGlobal village というテーマパークのJapan pavilion のパフォーマーとして過ごしました。僕を誘ってくてた友人と現地で合流した琴の演奏者達と共にステージを作って行きました。演奏者としてはこれ以上ない誉!毎日たくさんのお客さんの前で演奏するのは最高の経験でした。一方で大変なこともありました。機材の修理費の交渉を会社の人としなければならなかったり、演奏時間に関して揉めたりしました。この交渉を英語でしなければならなかったのも最高にいい思い出です。また、太鼓以外の収穫もありました。ドバイは世界有数の金融都市で夢と野望にあふれた人々が世界中から集まってきます。Global village で出会った日本人のビジネスマン達と知り合って彼らが世界で自由に生きる姿に将来の自分を重ねたりしていました。

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帰国後・青学1年

帰国後、やはり太鼓には一度距離を取ってここで将来の仕事に関して考え始めました。ちょうど、高校の同級生たちが就活に目処をつけ始めていたのです。自分が将来の仕事をやるにあったて後悔しない要素は何か?そこに太鼓は必要か?自分は何をしている時、やりがいを感じるのか?自分には何ができるのか?考えれば考えるほど答えはわからなくなって行きました。また、今まで普通に生活の中にあった和太鼓が消えたことで「打ち込めるもの」をなくしてしまい、悶々としていた時期でもあります。そんな私が描いた将来のあり方として、ドバイで出会った世界で自由に生きる大人達への憧れがありました。「将来場所を選ばずに働けたら幸せだ」そう思った僕は安直にプログラミングに手を出しました。

Geek Salon 受講生

最初は独学で始めたプログラミング。Progateで一人で黙々と始めました。もともと三日坊主なのもあって、「いやになったら止めればいいや」くらいの感じでしたが、面白くて仕方ない!!!結局、なんだかんだ二ヶ月くらい毎日Macをいじっていました。だんだん、太鼓の時のような仲間が欲しくなってコミュニティを探しました。そこで出会ったのが、Geek Salonです。Geek Salonは大学生限定のプログラミングコミュニティで三ヶ月間で自分のプロダクトを作成できるように勉強をしていきます。ここに入ってからというもの、僕のプログラミング熱は加速してゴリゴリにその奥深さにはまっていきます。この三ヶ月間はあっという間に過ぎて最終発表会であるGSDCを無事に終えることができました。ここで僕は「太鼓に限らずなんでもやればできるようになる」と確信することになります。何か一つにこだわってやることも最高に楽しいけれど、人間として生まれたのだからもっと色々やりたい!そう思うようになりました。

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Geek Salon メンター

webメンターを始めるにあたって多くの先輩メンター が温かく向かえ入れてくれました。僕の技術力や受講生対応を高く評価してくれる人たちもたくさんいました。Geekには挑戦も努力も夢もあります。みんなが気高く明日をより良くしようと本気で頑張っていました。メンター・受講生の多くが賢明に自身のあり方を考えることのできる人たちでした。

GeekではIT関連の知識はもちろん、ベンチャー企業で用いられる用語やその概念・社風を学ぶことができました。

私もその中で学び、力を発揮できたことは今でも色々な場面で役に立っています。コロナで多くの学生が居場所と打ち込むものがない中、私は最高の環境に身を置くことができました。メンター在籍中には42Tokyoの試験を受けて合格することもでき、日々の成長を実感することの連続でした。

しかし、私がメンターになって1年ほど経つとGeek全体の雰囲気が大きく変わってきました。Geek自体が大きくなり始め、受講生やプログラミング自体よりも入会者数と完走率を重視する体制になってきました。

どうしても数字より大切なものが疎かになってきていると感じた私は、次第にGeekからは離れていきました。

TLSインターン

この頃からnoteをしっかり書き始めています。
簡単に振り返ります。

Geekをやめて再び居場所がなくなった私はいよいよ就活が直前に迫っていることに気付きます。そこらへんの企業に話をつけると内定は適当にポンポン出ました。しかしそれでは何も面白くないと感じ大学4年前期で単位を取り終え、後期はタイでインターンをしながら改めて現地で就職活動をしてみることにしました。留学で中止になったタイ渡航を自力で取り戻してやろうと思ったのです。

現地では最初1ヶ月くらいバックパッカーで各地を点々としてから仕事を始めました。仕事は言語学校の日本語・英語講師と受付業務。貯蓄も人脈もなく異国に自らを放り込んで、一から生活を作っていきました。20代のこのタイミングで海外で生活することは今後問題にぶつかった時の突破力を養ってくれると考えています。


最終的に現地の機械商社Tの営業職につきました。

シンガポール

T社でパワハラを受けた私は3ヶ月で退職し、今度はシンガポールでIT関連の仕事をします。着任は今記事を書いている日の明日です。

まだ入国して1週間も立っていないのでどんな国なのかわかりませんが、今の所暮らしやすい国です。

こう振り返るとこれまで色々やってきました。
たくさんの人に出会い、たくさん助けられてきました。
読んでいただければわかるように私自身が動かした運命は本当に少ないです。いつも運と人とノリが私に面白い世界を見せてくれます。私に才能があるとすればいつ何時もこの3つのどれかは手元にあることでしょう。

私のnoteではこの面白い世界を文章にして残すことを目指しています。
誤字脱字や粗雑な表現も多々あると思いますが、この面白さの一欠片でも感じてもらえればこれ以上の喜びはありません。




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