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信じるか信じないかは私次第

「#私の不思議体験」です。

ひとつめは私が高校生の頃、祖父の葬儀での出来事でした。

私にとって祖父の死は、初めて直面した「身近な死」でした。
ただ、悲しい。
ただ、寂しい。

葬儀には遠方から、これまで一度も会ったことのない祖父の兄弟たちが来ていました。私は隅の方からぼんやりと、祖父の兄弟を眺めていました。
ーーあの人は、おじいちゃんにそっくりだなあ
ーーあの人は、少ししか似てない
ーーあの人は、眉毛が同じ

火葬、法要、精進落としと滞りなく済み、祖父の親戚たちが帰り支度を始めました。次々に、外で待つ貸し切りのバスへと乗り込んでいきます。

ーーもう一度だけ、おじいちゃんに会いたいなあ

叶わぬ願いです。だからせめて、祖父に一番似ている人を、生きている、動いているその人を、最後にしっかりと瞼の裏に焼き付けようーー。そう思いバスを追いかけました。目を凝らし祖父に似ているその人だけをみつめました。穏やかに、さようなら、と手を振るその人を少しでも長く、じいっとみていました。ふいに手前に座っていた人が振り返りました。それはまるでスローモーションでした。私は引き寄せられるように、祖父には一番似ていない、祖父の弟に視線を重ねました。その顔は紛れもなく祖父でした。闘病で苦しむ前の、痩せ細る前の、元気な頃の祖父がじいっと私をみていました。
慌てて瞬きをすると、その人の顔は元の、祖父には似ていない本当の姿に戻っていました。これは幻影でしょうか。けれどあの、靄がかかったような空気感の、ただ一秒の長さを、私は今もはっきりと思い出せるのです。


  +   +


ふたつめの不思議な体験は数年前、夫と一緒にお盆の墓参りへ行ったときのことです。

とても暑い暑い、風もない猛暑日の午後でした。

私は前の年に親友を亡くしていました。
偶然にも、彼女は私の先祖と同じ墓地に眠っていたので、夫に、親友の墓へも行きたいから先に車へ戻っていて、と伝えました。すると夫は意外にも一緒に行く言います。無風とうだる暑さに申し訳なさを感じつつも、私たちは歩くたびに流れてくる汗を何度も拭い、敷地内を横断しました。
親友の墓へ着いた瞬間でした。突然、私たちがいる空間に冷気が満ちました。カンカンと照りつける太陽と青空はそのままなのに空気だけが、まるで冷房を浴びたように一瞬にして冷えたのです。霊やオカルトの類いを受け付けない夫が顔色を変えたぐらいの、はっきりとした冷気でした。それだけではありません。私のすぐ横から蝶が現れ、ひらひらと私の前を舞い、どこかへ消えていったのです。

「ねえ、蝶々……、見た?」
夫を見ると、夫は「……うん」とだけ言いました。話がそれ以上発展しないことは分かっていたので、暑さが戻った空の下をひーひー言いながら車まで歩いていきました。

帰宅後、この不思議な現象のことを友人に話しました。

「それは絶対、彼女だよ。だってこんなにクソ暑い日に蝶が飛んでるはずがない」
「だよね? だよね?」

私にも確信がありました。
蝶は私と同じ進行方向から唐突に現れたのです。視界には蝶が休む場所も、飛んでいる姿もありませんでした。


人は死んだら『無』になる。
ただそれだけ。
私はそう思って生きているのですが、私の身に起きたこのふたつの出来事を考えると、それは正しい解釈ではないのかもしれないと、信念が揺らぐのも事実なのでした。


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